【登録 2011/12/23】  
紙田彰[ 散文 ]


〈自由とは何か〉
自由とは何か[018]

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18

(悪夢)
 私はいつのまにここに佇んでいるのだろう。それにしても、この場所とはどこか? 特定できない場所、特定できない状態。わたしはひとつの仕事を終えて、一挙に老衰に襲われているのだろうか。ああ、夕暮れの雑踏。冬の立ち枯れ、濡れた街路。どこまでも続いている。
 ここは現実と思われるところではない。しかし、それは非現実ということでもない。アントナン・アルトーのように、狂気といわざるをえないから狂気というだけで、本当は存在を裏返す戦いのつもりなのかもしれない。ただ、何かに侵襲されている感覚。細胞がはりつめ、こわばるのだ。何も終わっていないし、やはり何も始まっていない。それでも私はひどい疲労感に打ちのめされている。いつまで?

 私は思い描くことができる。何も見ているわけではない。何も考えているわけでもなく、ただ押し寄せるこれらの波動、波頭……。
 生気のある人形たち、生気の失せた人形たち。ひっきりなしに通りを渡り、無味乾燥ないくつもの建物の中を出入りしている。壁面の大型ビジョンに映る広告モデルたちの顔、にせものの日常、いつわりの生活。セレブリティ。暗い眼窩、その奥で光る瞳の数だけの欲望。人生は経済だけだ。あまたの詐欺、詐欺師、騙されつづける暮らし。犯罪、凶器、薬物。中毒者たちの深い闇。世界の裏表。危険な路地。威嚇。戦争。殺戮。兵器は増加する、増大する、高度化する。死者も、難民も、孤児も、高度化する、ただの金額として。国家の礎とは暴力と悪徳、収奪。逮捕。拘束。投獄。拷問。横暴な権力と横暴な裁判。法の正義という妄想。そして死刑。皮剥ぎの刑、鋸引き、斬首、絞首刑、銃殺。薬殺。電気椅子。さらに操作と監視はつづく。奴隷化はつづく。自由などない。人形たちの館の惨劇。頭と手足と胴体と内臓の散乱。幼児化現象、地球は幼児の脳味噌であふれる。金髪と刺青の日本人形と鞭。さらにさらに幼児化して。高度化して。
 高層ビル群、高速道路、立体交差。バベルの塔。その高い塔に巻きついた電飾。壁に貼りついたイルミネーション。欲望をそそる看板たち。駅頭では空疎な演説、恫喝、大量の人形を運ぶ死の電車。集団自殺の勧誘。死者たちの名が読めない無数の骨壷。催眠術に誑かされる人形たちの薄い影。動物も植物も生命維持と繁殖だけにいそしんでいる。
 どのような仕組みの命令なのか。どのような従属なのか。どのような奸計。幸福と不幸の禍い、呪い。自由などない。だれも、ひとりのために生きてはいない。そんなことを考える遺伝子など組み込まれていないのだ。

 私はさまよう。そして、迷い込む。棹尾を飾ることのないドラマツルギー。無数の細胞のように仕切られた部屋、その館に。偽名まじりの秘密警察の追尾を警戒しながら、その小さな家の小さな入り口をようやく見つけて。そのあたりは、中心部を少し離れた丘の上にある住宅街。古い美術館もひっそりとして。殺風景な庭からはすぐ二階に通じる階段があり、鉄柵をガイドにこれをのぼると覗き窓のある扉が。取り付けてあったカウベルを使うと女が出てくる。そのような具合で、蟻の巣のような屋敷に入ったのである。なぜ蟻の巣か、なぜ屋敷なのかは、そこが地下への入り口だったからでもある。自分が蟻でもあるから。

 おまえを逮捕する。よけいなことを考えてばかりいるから、こうして出張る羽目になったのだ。拳銃を口の中に押し込むと、これをしゃぶっていろ、と命じる。火薬の匂いのする銃口、たしかに鉄は血の味がする。おまえにはもう自由はない。永遠に。黙秘権もない。どうせ裁判も不要だ。もともと法なんて嘘っぱちだ。民主主義なんてのはギリシア時代からおまえたちの側にはないのだ。さて、病院の鉄格子と刑務所の鉄格子と、どっちがいい。それとも、身元不明の死体になるか。
 私は尻を丸裸にされ、四つん這いになった後ろから肛門の検査をされる。性病と痔の検査。しかし、鑑別されるのは恥辱による服従心。

 私は目隠しと猿轡をされて、どこかの病院に連れて行かれた。病室のベッドの上は片付けられて、硬いマットだけが広げられていた。その上に、丸っこい物体がごろっと転がっていた。つやつやした肌色のそれは、ほんものの肉の足指が足からごろっと離れたものだった。そして、隣のベッドに寝ているのは私の母親で、そのリウマチの足先には指が外れた痕があった。母親は、二十数年前に死んでいるというのに、人形とも思われない生きている肉体。だが、手前のベッドにはやせた赤ん坊の死体。私はそばのバスタブに押し込まれる。隣の広い会議室では、病院を経営しているカルトの秘密集会が開かれている。私は逃亡するために、高層にあるガラス張りのホールから飛び降りることを考え続けていた。

 それはDNA生命系の夢、その破片。その侵襲がやむことはない。叛逆は徹底的な弾圧の対象なのだ。とはいえ、だれが、どの細胞が、どの意識がその尖兵となるのだろう。

 私は広い土地に連れて来られた。平原の向こうには、山と海と川がすべて備わっている。完璧で単純な平面。曲率など存在していない。まるでつくりものの。見上げても、ここには宇宙はない。本当に二次元なのだ。私は地面に押しつけられたぺらぺらの絵だ。抑圧の力はすべての厚みを強奪する。
 そのような土地で菊の花の祭りが始まっている。fascisme de chrysanthèmes dans fleur pleineが押し寄せる。満開の花。黄色い花びら。山や丘の彼方から海が押し寄せるように、大量の菊の花びらがやって来る。花の祭り、死の祭り。大地震の後の大津波。すべてを根こそぎにして菊の花びらが呑み込んでしまう。
 それは、満開の菊の花のファシズムが押し寄せる夢だ。黄色の花びらが野を山を国土すべてを蔽っている。少しの隙間もなく、植物だけではなくあらゆる動物も人工物も菊の花びらに変えてしまう。すべてが黄色。すべてが黄色、真っ黄色のむせ返る世界。私の呼気も花びらの形、黄色の菊の匂い。そして、天空も菊の花一面になって蔽いかぶさる。この断乎たるファシズム。世界を押し潰して、ただの平面にする力。みはるかす限りの平面は、濃縮され固まった黄色のつるつるした巨大な陶磁器タイルのようだ。
 濃縮された花祭りがこの土地を支配する。紺碧の海にまで迫るその花びらの群れ。黄緑色に縁取られる海岸線。夕陽の赤い色がこれらの花びらたちに燦々とふりそそぎ、オレンジ色の光の絨毯が表面に重なっていく。しだいにオレンジを帯びた黄色が赤みを帯びて、さらにいっそう赤いオレンジとなって、黒ずんでいく。一筋の光を海際に残して、水平線に血の色をした太陽が落ちると、神代から伝わる祈祷の声が忍び寄る。古代豪族たちの祈りが夜を迎えているのだ。抑圧されたものたちの呪いを排して。王族の祈りの夜よ。飽食するファシストどもの胃液の匂い。胆汁の流れのつづく夜。

 海から吹く夜風に、死蝋と結びついたあの花独特の香りが混じる。棺に充たされ死者を蔽う黄色い花々。弔いの白い花々。菊の花の匂いは死の匂い。菊の花の匂いは死の匂い。
 そして、いま、地震や一陣の嵐によってはかなくもすべてが召し上げられる。気がつくと、物理的な自然だけが世界に甦っていた。

全面加筆訂正(2011.12.23)


[作成時期]  2011/12/23

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(C) Akira Kamita