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iii - 2 | 詩集「魔の満月」 詩篇 魔の満月 |
至高の秘儀ともいうべき王家の処刑は 既に枯死したボウの苑を囲む三つの恐怖の淵に設けられた冥王の座で執行される
エレーア 恋の初峰入り 我が生と死の賜物よ 紫焔に包まれた哀切 その苦悶よ エルドレは虚ろなエレアの死の瞳を想起する オルリー公は種々の拷問を加えられた後 第二の冥王の座で狂死する 第三の呪いの座に供されるはずのエルドレは 高僧たちに匿われ フネを駆って彼地を後にしたのだ 宇宙を支配する縄墨(じょうぼく)はその代償に聖地を第三の冥王の座に就かせるのである あの赤く膿んだ星天の唯一の故郷は暗黒の斑ヘと変じている 篭目と称される不吉な唄を想起せよ 後門の狼と前門の虎とを併せもつ者は誰か 六芒星の北と南の中央に位置する恐怖の帝国 此地はエルドレに与えられた冥王の座なのだろうか 天円地方と唱えるに相応しい土地を見回すと 暗がりの中に十三個の金色の宝輪を戴いた十三階の塔がある その周囲に五つの彫刻が見える エルドレは四角い地面の中央を大壑(たいがく)が恢然として走っているのを知る その底から 得体の知れない湯気とともに甘美な匂いが湧出してくる 頭脳を優しく舐(ねぶ)る性質の香り エルドレは深い亀裂を覗き見る 尻尾の長いもの 短いもの 縮れているもの 千切れているもの 種を問わず 億千もの黄斑点をもたぬ近眼の生き物が 白い長大な門歯を研いでいる 葡萄酒は臭みを消す ビールは脂を流す 脂とよく馴染むのは老酒だ 仕度ができたら晩餐の鈴を鳴らせ 山椒と米粉を塗した蒸し豚に手をつけながら四方山話に花咲かせよう 鬱金(うこん)や姜黄で彩られた貝柱と野菜の炒めものはちょっと辛いので ぐいと盃を傾ける 殻付きの海老の煮込みに無闇に涎を垂らすな 麦芽糖を塗った家鴨の丸焼きが喰えなくなるぞ シェフの腕を褒めたら色恋の奥義をも聞き出そう 木耳と鮑と筍のスープを啜り 誰か唄でも歌わぬか 踊りは早いがカードぐらいはもういいだろう 扁桃と百合根の菓子に茴香(ういきょう)や肉桂や砂仁(さにん)の峻烈な芳香が混り くらくらする 呂律が回らなくなったら奥歯を噛みしめる覚悟だけはしておけ 韮を微塵にしてよく絞った点心は生姜の入った酢醤油で食すべきである ちょっと待て 蓋をしたまま茶を喫む男よ まだ食い足りぬなら 台所に行って枸杞(くこ)の若葉を入れた粥でもぶち込め さっさと裾張蛇(すそはりへび)の変生でも抱いて 夜の沈静に溺れよう 鼠は固陋な大食漢である 新物件反応は彼らの舌を頭脳の上位に遇している 崖下の鼠どもはいかなる料理を喰っているのだろう エルドレは彼らが喰いながら大量に脱糞し即座に交尾し出産する様を見る 凄じい葷羶(くんせん)と増殖と死よ 何という欲望の谷底 エルドレは胃の分泌液をすっかり迸らせると透明な貌を上げる 硝子細工のように清澄な肉体に蒼い光芒が生じている エルドレは十三重のストウーパに近づく 塔の扉には上半身が浮彫で下半身が装飾画になった新生児が描かれている 差し伸べた右手には翡翠の色をした硬玉が載っているのだ おお あの竜骨を宿す卵 “説文解字”でその五つの徳を謳われた玉 万年の長寿と偉大な神力の素たる霊芝を髣髴させる神秘 エルドレはかつて味わったことのない眩暈と昂りの只中にいる エルドレは己れの透明な肉体から脱け出て一個の魂と化す 肉の枠組はそのとき周囲の彫像と同質の物体となる 永劫の時が与えられているのだ 扉に貼り付いた姿勢のまま エルドレは内部を見る者へと変ずる 魂の遍歴は“物質の幻惑”にどのような形態を与えるのだろう 博奕は男にとって不可欠である 大負けした後で酒を呷り 余勢を駆って旅に出る 自転車泥棒を相棒にして狂い咲きの桜を探すが 商店街の造花しか見当たらぬ 焼棒杭と何とやら あなたが必要よと言った女が擦れ違う 昼寝から覚めると尾鰭の切れた金魚を掬う 咫尺を弁ぜぬ奴など放っておけ 牝猫がしきりに頭を摩り寄せる 女の身上話は躯に毒だ 留守宅で一服しよう 保線係の躯が裂かれて自動車が炎上する 痔を治療しようと思うなら両手を血に塗れさせなければならない 巨鯨を愛する女の緋色の寝巻が飄る 彼らの眸は何と優しいのだ 午前二時に若者は餅を搗く 怡然(いぜん)として三尊天井はいかな憂目を齎すか 肉体を残して エルドレは第一の彫刻に向かう 方格規矩鏡を持った女の束ねた黒髪を左手で鷲掴み 中太の大刀を振り翳した男 エルドレはとっさに二つに分離し 男と女の中に入り込む 閃光が走る 刀が月光に映える 鋼の像は生命を帯びているのだ 獰猛な男は惨酷な歓びに喜々としている 女の細首に刀が喰い込んだとき 女の咽喉を介して断末魔の叫びをあげる だが その ![]() 死とはこのように充実したものなのか 女は鏡に映る己れの耀く瞳を垣間見る 満月の妖艶な光が ![]() 数百の巨大な仏像の無表情な貌が微かに乱れたようだ 男は首なしの胴に太い腕を突き入れる 食道の緊縛がたまらない さらに深く差し入れ臓物を一気に掴み出す 生温かい血の塊が食欲をそそる 眼球を硬い指で抉り出し 開いた穴に舌を深く這わせ 脳漿を存分に啜る 何という甘美で濃(こく)のある夢 このような芳醇な味がこの世にあろうとは エルドレは酔い痴れる 窮して濫するとはこの事だ 玉の第一の徳とはその光が仁を表すことである 男は女への精一杯の思い遣りから 散乱した遺体を鼠どもの饗宴に投げ入れる 女の中に入ったエルドレは ばらばらになった肉片に従って己れが四散するときの特異な快感を知る 尻から雷鳴を発する小人たちは月上からこの光景を見ているに違いない 弔いのために嘴の曲がった鷺の群が花椒塩を撒いているのだから エルドレは第二の像に侵入する 金縷玉匣を着せられた少年を空中にぶら下げる巨人の彫刻 巨人は少年に何ら落度がないのを心得ている 清廉潔白な人間ほど手に負えぬものはない 巨人はまず細い指を毟る 少年の瓜実顔が南瓜のように歪むのを楽しみながら手首を ![]() 少年は失神するのを歯を食い縛って怺(こら)えている 巨人は苦笑いすると ![]() 少年の首筋を摘んで それがたちまちに喰われてゆく様を見せつける 少年は下等動物に喰われてゆく己れの肉片を必死に見続ける 頭脳と感覚を支える発条が弾けると 全身に鋭い痺れが走る この痺れは 妙なるかな 不思議な戦慄を喚起し 煽情的だ 腕の付け根から足指に移り 太股ももうない 巨人は最後に首を拈(ひね)ると 絶命した胴体とともに崖に放り込む 生真面目にもほどがある 最期まで眼を開けていたと反芻し 大笑いする 巨人の中のエルドレは 一つ一つ千切るあの感触で 何やら心が洗われたような気持である 玉の第二の徳とは その透明度が廉直さを表すことである 蝋燭を銜えて天門を照らす人面蛇身の神ならば 瞠目の美少年を火の番人の列に加えるだろう 第三の彫鐫は 智力あふれる姫君を鈍重で卑しい下僕が鉄の棍棒で打擲するものである 卑屈な薄笑いを下唇に泛べた下僕は根気よく何度も鈍器で殴りつけ 躯中の骨という骨を砕き 姫君を軟体動物に化させる 蛸のようになりながらも 賢しい姫君は凛として威容を保ち 鞏固な意志でこの唾棄すべき低能を嘲っている 骨が砕ける解放感に馴致して せいぜい喜悦の微笑を泛べれば この糸瓜(へちま)の皮を見下したことになる 姫君はそう決心すると 骨の崩れゆく痛みがまるで恋人のように思えるのだ 下僕は既にぐちゃぐちゃになった姫君の躯を骨刀で縦に裂き 内容物を綺麗に掻き出す 姫君は今や一枚のひらひらした皮になる 蝋を万遍なく塗ると 外套のようにすっぽり装着する 下僕は あの気高き智性はこの通りすっかり手に入ったと得意満面である 玉の第三の徳とは その玉の敲いた時に生ずる澄んだ音が智性を表すことである エルドレは 己れが紙のように風に戦ぐ軽快さと 泥のような流動物になって味わう粘着性とに新鮮な興味を感じる 澱んだ空気と 満月の奇怪な吐息と 数百の巨大な視線を浴びて 第四の鋳物に入り込む 数人の囚人の陰茎を切り落とすナイフ使いの像に 今まで試みたことのない魂の分割法で侵入する 股間からどくどくと血と小便が噴き出している エルドレは性器のない男というのを体験する 周囲が妖異で淫靡な微光で隈取られる 皇帝に叛いた猛々しいまでの反骨は雪崩のように溶解し ひたすら従順な気持が萌える ナイフ使いに尻を振って取りなしを頼む 目尻の釣り上がった若い男は煩わし気に取り合わず 男たちの陰茎を鞣している ナイフ捌き一つで勇士たちさえ御せるのだと北叟笑む 囚人たちは若い男の手伝いをしようと 股間の出血をも意に介さず 己れの男根を鞣し始める 若者の逸物を弄(まさぐ)って媚まで売る始末だ ナイフ使いはよく鞣された皮を繋ぐと これこそ勇気凛々たる鞭と有頂天になる 空を切る鋭い音 数百の巨像の唇が仄赤い しゅるっというただの一鞭で 哀れな腑抜けどもを谷底へ叩き落としてしまうのだ 玉の第四の徳とは その玉の曲げることのできぬ硬さが勇気を表すことである エルドレは性器のない女の場合はどうなるのだろうと烹煉(ほうれん)を加える 踊りの最中にハイヒールの踵が外れ 女は酒宴のテーブルに倒れ込む 深く交わると深山のような躯に中る 年寄と子供に気を遣うな 甘やかしては位が下がる 星空を凝視すると全天は滅亡する エルドレは五番目の最後の彫像に乗り移る 滅蝋法でできた類稀なる美女 ナイフ使いがこの美女を穢す全能の神である おお 胴のない頭で人を喰い 嚥み込む前に毒が躯に回る大食漢 泥漿をかけて焼かれた縄蓆文のある三足の黒陶が砕ける 乙女の胸から零れ落ちたのである 美女の体内で エルドレはこれまでの生贄のような身の毛のよだつ末路を期待する 男は指先に鉄の鉤を填めると 女の紗の衣を引き裂く 股を大きく開くと 黒々と生い茂る繁みの中でふっくらした白桃が実っている おびただしい巨大な眼が開かれる 溜息さえ洩れるようだ 乙女は恥辱のあまりに失禁する 乙女に憑いたエルドレは昂奮する 乙女の器からとろとろと蜜が流れる 蓋も開き始め 薔薇色の果肉が覗く 女らしい喘ぎさえ聞こえる 枚(ばい)を銜(ふく)め 静謐の一時である 素早い業でナイフ使いの右手が辷り込む 乙女は激痛が走るのを知る 裂けんばかりに瞠若する 苦悶の叫びすら出ない 男は力を罩めて子宮の奥まで腕を貫き 掌を大きく開いてまた結ぶ 乙女の声帯から血が吐かれる あの鉤爪が襞筋に喰い込んでいるのだ そのまま右手を引き抜くと 血塗れの膣の内壁と子宮が裏返されて躍り出す ナイフを器用に揮って くるりと根元から抉ってしまう 世紀の美女は絶命する ただ一度の悦楽と苦痛とを記憶しながら エルドレは 女が女でなくなる時は死を迎えるのだと知る 五番目の最後の徳とは その玉の角の鋭さが公正さを表すことである 生命とりの洞穴で塔が哭く 一人とて遁れられない 汝は死せん滅ぼされん 散壊空の理によって 仏塔は五つの徳ともども崖下へと崩れ落ちる ナイフ使いは飛込台から真逆様に墜落する 彼は墓に臥す 時は出発の鐘を鳴らす 田舎から出て来た新聞記者が呑屋で門前払いを喰らう 家庭教師は女の膝枕を冀い爆笑の的だ 建築家が映画の看板を熱心に見ながら腕を組む おいおいあんまり影人形を使うなよ 小男の世界チャンピオンは純朴だ 近思録を看ながら餓死した酒客 人間は錯誤には縁のない存在である エルドレの魂は今や数百の肉片の中に分割されている 淋巴腺が脹れ躯中に紫の斑をつくる病に罹っているに相違ない 鼠群は億千を超過している 恙虫(つつがむし)はその何十倍の数に達している 彼らは肋骨を包んでいる上等の脂肉をしゃぶる この闇の底は窓から覗くしかない 下がれ 破落戸(ごろつき)め エルドレは生贄たちの肉とともに己れの魂が咀嚼されているのを知る エルドレの魂は一挙に天文学的数字に分離する 魂は黒死病に罹るだろうか 鼠どもの小さな器官の中を通る 次々に排泄される 何という灰身滅智の作用だろう 精液と糞の中にエルドレは取り憑いている 造形思考は感情から生まれるのではない 汚濁は安住の地だ 世界の母胎は肛門に符合する これは生滅四諦の法則である 鼠の兆億の糞の粒からほんのりと湯気が昇る 広大な湯気の世界とともにエルドレの魂はある 天の種々の方向にある雪のような光の帯 壁に住む巨人たちの不思議な音楽が聴こえる まず三つの声部が絡み合う 高音部が中心になり 低音がそれを温かく支えてゆく エルドレのゆらめく光の帯は皓々と燦く満月に晒され 緋色のオーロラに変ずる 五つの楽章に頒たれた旋律が流れる それぞれの楽章は一つの定旋律によって有機的に結合してゆき 珠玉のごとく結晶する オーロラが一条の細い糸になって エルドレの肉体が握る硬玉を通じて体内に ![]() 透明な躯に赤味が差す 魂は帰還する 呪いと栄光を浴びて蘇生する 我が主人公“物質の幻惑”は飛翔する 黄金のサンダルと魂の肉体的特性によって熟した天体に向けて浮揚する 巨大な仏像の合唱は頂上に昇りつめる それぞれ固有の歌を紡ぎ出し 自由に流動しながら 太い一本の糸に収斂する おお素晴らしき調和 暗黒の空に架かる月の下に 世界は幻惑の譜を夢に見て 最後のピアニッシモを敲く |
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