音楽協力: Sounds /作曲・制作  紙田 聡
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Copyright (c) 2001- Akira Kamita
紙田 彰による 詩的絵画の試み

第8回 紙田彰 油彩新作展 "Super-string, White Image" [画廊企画]

2005.6.20 - 7.2 京橋 小野画廊I



[展示作品]

poetic art by KAMITA, Akira


超ひも理論と解放衝動, White Imageによる展示空間 [第2シリーズ]

われわれの解放衝動はどこから来てどこへ向かうのか?
hemp (麻ひも)を埋め込み、絵の具を叩きつけ、ニードルとナイフで執拗に傷つけ、サンドペーパーで研ぎつづける。純粋な肉体的行為の繰り返し。存在の基点から発する解放衝動と、匿された次元の向こうにある宇宙論的自由が出会うことは可能なのか。――白を基調にした10点の作品で展示空間を再構築し、今、新たな領野を切り拓こうとする試み。
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■出品作品一覧



→展示室の様子

→図録(PDF 391KB)
→フライヤー(PDF 179KB)

Akira Kamita 8th Exhibition
――油彩新作展 "Super-string, White Image" [展示予定作品]


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oil on canvas, F3〜F20

思考の形、思考の色、思考の瞬間と永遠!
はじめてふれる魂、生命、あらゆる運動系

この存在と非在を啄むことなかれ
思考の生み出す一瞬の抽象

――詩作品「diffused reflection」のv


球体という破れ

a right side

magnetical drive

spiral dimentions

 おまえたちは私を呪縛する。しかし、私はその呪縛が私に属しているのか、私を属しているものに関係しているのかを知る術がない。懐かしい匂い、体の奥が引きずられるようないとおしさ、脂にまみれた感触、体をくるむ体毛の記憶、何も考えることのない安逸さ、身をゆだねることの持続――。
 おまえたちは答えない。答えることを退けているのではなく、答える必要のない持続があるばかりだ。私はただおまえたちを通して、呼びさまされる何かを感じている。それが何であるかは別にして。それはそれぞれの内部に根強くあるものではなく、表層のありように起源するものなのかもしれない。なぜなら、つらなる無限の鎖はそれぞれの磁場を形成し、それらの磁力によって影響しあっているはずだからだ。

――小説「自由とは何か[007]」より


dance――(解放衝動の)叛乱1

dance――(解放衝動の)叛乱2

dance――(解放衝動の)叛乱3

cells

〈偶然〉
「これまで」の経緯は必然であるが、「これから」は偶然である。つまり、「偶然」の連鎖があるのみである。「必然」とは偶然の来歴を敍するもので、確かなのは偶然が偶然を生み出している、そのことである。

――断片「偶然の連鎖と消失 1」より


a crack of gravity

人間原理

〈宇宙生成〉
無から、ビッグバンによって、宇宙が生まれる。すると、その瞬間に無が消失し、有が現れる。有が現れることによって無が意味をもたなくなり、無が消失するということになる。
ビッグバンは偶然であり、偶然の連鎖によって宇宙は拡大していく。このことは、宇宙成長においては、これを実現していくのは偶然のみであることをいう。偶然のビッグバンによって、無が消失するように、偶然はそれ以前のものを無意味にさせ、消失させる。つまり、偶然の連鎖は、偶然に生じた現在性のみが、事実であることを示す。
宇宙は、しかし、単に成長を無限につづけるわけではない。爆発・拡散・収縮というダイナミズムによる成長は永遠ではない。宇宙もまた、偶然によって、その反対イメージへと、突然、一挙に消失させられる。それは「凍結」というイメージである。これからは〈イメージ〉という言葉でしか、論理的には表せないだろう。
この「凍結」は瞬間を凍結するのであるから、動的な一切はイメージにとじこめられ、動的な要因は一挙に消失する。凍結したイメージのまま、宇宙は消失するのである。
この凍結は永遠につづく。
存在はつねに永遠にあるということは正しい。けれども、偶然がこの永遠を終了させるのである。永遠は偶然によって、事故的に終了させられる。
永遠の凍結は、まず永遠であることによって、永遠という尺度、永続するという現認を持つことが不可能であり、それ故、永遠ではない。つまり、一気にその全生涯を果たす。次に、偶然によって永遠が跡絶える。
偶然が生ずることで、凍結の反対イメージ、溶融が生ずる。
溶融はまた爆発、収縮、拡散でもある。しかし、これは「成長」ではなく、否定あるいは消失の連鎖としての爆発、収縮、拡散である。この生涯もまた偶然によって跡絶える。
次に来るのは無である。
この無は初めの無と同一であるか、別の無であるかは分らない。
ただ、次の偶然のビッグバンを待つ、永遠の無である。

――断片「偶然の連鎖と消失 1」より

[第2週(6.27-7.2) 追加展示]
予告作品 Super-string theory, oil on canvas, F100×5(6.51m)の一部


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