音楽協力: Sounds /作曲・制作  紙田 聡
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Copyright (c) 2001- Akira Kamita
紙田 彰による 詩的絵画の試み

第9回 紙田彰 "Super-string Theory" [画廊企画]

2005.8.8 - 8.13 京橋 小野画廊I



[展示作品]

poetic art by KAMITA, Akira
協力 (株)クサカベ

幅6.5メートルの油彩新作を発表
それぞれの存在、あらゆる存在の解放衝動と
超ひも理論の彼方につづく宇宙論的自由とは何かを求めて。

54歳の新人画家はスクラッチングをつづける
キャンバスにhemp (麻ひも)や棕櫚縄を埋め込み、油絵具を叩きつけ、ニードルとナイフで執拗に傷つけ、サンドペーパーで研ぎつづける。これは、純粋に肉体的行為の繰り返しである。また、創造行為における原初性(プリミティビティ)の発動でもある。
――そして、これらは存在に包含される〈それぞれの存在〉の解放衝動という叫びでもある、とこの画家は考えるのである。
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■出品作品一覧



→展示室の様子

Akira Kamita The 9th Exhibition
―― "Super-string Theory" [展示予定作品]


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oil on canvas, 6.51×1.62m

Super-string Theory
oil on canvas, M4(19.0×33.3cm)

<Super-string> 立ち上がる解放衝動


(境界のない絵)
     ――2003.9 二度目の個展前後

紙田 彰


境界のない絵を描こうとして考える。
ひとつは、物質と物質の間に果たして境界があるのかということ。
もうひとつ、作品は境界によって囲まれているが、これは作品が世界を切り取ってできる断片ということではなく、位相が異なった場所から覗いているから、境界めいたものがあるような按配になっているだけで、実はこれは境界ではない。
つまり、位相と位相の間にはたして境界があるのかということである。
ここにきて、では境界とは何であるかという問題が浮上してくる。
境界とは区別する/せざるをえないときに出現するものだが、そのときこちら側とあちら側は区別されているのだろうか。
物質が永遠にその外殻を壊しながら「区別」の内部へと辿る、その先の結論は、空であり、無であるとすると、その区別、すなわち境界は無へと向かう道筋を作っていることになる。
つまり、境界、あるいは枠は、こちらとあちらを行き来する通廊なのである。
その通廊はあちらともこちらともつかない、曖昧に混淆した「両存在」とでもいうべきものなのだ。
そうすると、あらゆる独自存在は、あらゆる全体と一気に結合する宇宙包含とでもいうべきエネルギーをもっていることになる。
独自存在は核融合反応のように、境界を貫通することができるわけである。

(未定稿)

[作成時期]  2003.09.26



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