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紙田彰【大動脈解離および解離性大動脈瘤についての情報】


[大動脈解離 aortic dissection, dissecting aortic aneurysm]

1. 大動脈解離

 まず、大動脈の解離(大動脈の血管の内・中膜と外膜の間が裂ける)がスタートである。
 解離発症時点では、重篤の度合いによって、
・大動脈破裂から死にいたる場合
・人工血管置換術の適用
・鎮痛、検査、血圧管理と絶対安静
 のいずれかの処置が取られる。
 即時入院、治療となり、病状に応じてその期間もさまざまであるが、基本的にはCT、MRIなどの検査、血圧降下剤の集中投与など、専門医の監視下に置かれる。
 解離とは血管の内膜と中膜に何らかの原因で傷が生じ、そこから血流が内・中膜と外膜の間に侵入し、血管内部の膜が裂けていくことを指す。
 重篤度も、心臓から腰部までの間の大動脈の部位、解離の規模などによってさまざまである。
 手術、あるいは血圧管理などの治療により破裂を免れると、血管の中膜と外膜の間に流れ込んだ血液はしだいに血栓化して、とりあえず固まっていく。しかし、血管が復元したというわけではない。
 内膜には血液の流れ込んだ入口と、内側に破れた口などができるが、また出口がないところでは袋状の瘤ができる。
 動脈瘤と異なるのは、内膜と外膜の間に生じているので、膜が一枚薄くなっているという点である。いわゆる、解離性大動脈瘤である。
 この解離性の瘤は、血液が血栓化して閉鎖する場合もあり、その場合はおそらく動脈硬化と同じような予後を辿ると思われる。
 しかし、一般には解離生大動脈瘤が大小いくつか残り、これを通院して監視しながら暮らしていくことになるようだ。
 一般の動脈瘤でも、最大直径50ミリを超えると、手術適応となる。
 重篤度、部位によっては人工血管置換術が行われるが、最近では開胸せずに鼠蹊部からステントグラフトを挿管して内膜の傷口を閉鎖し、瘤を血栓化するという方法が適用されるようになってきた。また、ステントグラフト手術は2002年から保険適応となっている。
 手術は、血流をバイパスさせたり、臓器が虚血状態になったり、脳血栓などを起こしたりという危険性はつねについて回る。
 ステントグラフトについても、ステントの隙間からの出血や血栓の発生などについて、まだデータが十分とはいいがたいようである。
 患者としては、初期の情報不足に大いに悩ませられるが、また治療中は交感神経に作用する血圧降下剤の副作用、食事、背中の痛みへの不安、いつ破裂するかしれないという心理的ストレスにもいっそう悩ませられる。
 とくに、いつ死んでもおかしくないという状況におかれるのであるから、毎晩生死について考え込み、鬱状態に陥ることも少なくない。
 また、予後には、外面的には通常の生活を行えるので、解離の再発や動脈瘤の膨張を予防するための行動抑制を、周囲から「怠惰」などと誤解して受け取られることもあるようだ。
 大動脈解離の原因は高血圧であると思われるようだが、これは誘因であって、問題は血管の内膜に傷をつけ、あるいは内膜をそのような状態にさせて傷口を生じさせるという本質的な原因があるはずと思われる。
 血管内膜の組織細胞に作用する何らかの原因があるとすれば、血圧管理が原因を除去するとは限らないし、現在の治療は、血圧管理と動脈硬化の予防くらいしかないので、再発についてはやはりつねに覚悟しておかなければならないということである。
 一度、発症しているのだから、くっついているとはいえ血管の内膜と外膜の間には異物(血栓)の層があり、剥がれやすいのではないか。また、解離性動脈瘤がある場合は、そうなった原因がさらに残りの外側の膜に傷をつける可能性も大きいのではないか。
 このように考えると、病態、術後、死亡例、生存率などの豊富なデータがないものかと考える次第である。
 ただ、覚悟して生きるということは人間すべてに共通することだが、健康な時は自分は死ぬわけはないという盲信を実は抱いているわけで、この病に遭遇して掛け値なしに死を実感しながら生きていくという、実に当たり前の生を理解できるようになったということはいえる。
 そのような意味で、他の誰でもない自分が、また他の何ものでもなく、本当に納得して生きるということを、心の底から知りえたという気がするのである。
 死と付き合うこともまた楽しからずや。同病者が辿りつくべきは、おそらくこのような楽観にあるのではないか。
 もちろん、このような境涯にいたるのは僥倖ともいうべきものだが、死を脱してもなお、解離の部位や状況、経過によっては、爾後、さまざまの障害を負うことを受け入れざるをえないのも事実である。
次ページは「2. CT影像」

(c) Akira Kamita

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