紙田彰【大動脈解離および解離性大動脈瘤についての情報】
[3.解離手帖]
発症――電子メール編
○2000.12.24
24:00頃、激痛。
○2000.12.25
明け方まで、激痛を繰り返す。
終日、床に臥す。
○2000.12.26
[仕事中のワイフからのメール]
具合はどう? 今、電車の中。 あとしばらく仕事してから帰ります。
○数日、自宅で寝ている。
○2000.12.28
途中、事務所の大掃除、納会にだけ参加。
夕方、友人Tと神田で会い、呑み屋へ。激痛。
タクシーで帰宅。
○2000.12.29
[友人Tへのメール]
昨日は心配かけました。
あれから、何度か痛み止めを飲みながら、安静にして、今はおさまっています。
どうも、動脈瘤関係のようだと考えています。
鎮痛剤が切れると困るのと、どの程度のレベルなのか知りたいので近所の循環器系のある病院に行ってみようと思います。
落ち着いたら、ぜひ会いたいので、連絡します。
また、メールでもやりとりしよう!
[あるMLへの投稿]
紙田です
今回は、ちょっと友人のことでアドバイスをいただきたいのですが。
仕事に追われているためになかなか病院に行かないので、今度ばかりはそうはいかないぞと強く言っています。それで、どのような病気の可能性があるのかを伝えたいと思います。
・動脈瘤関係の疾病ではないかと思うのですが。
経過
12/25の夜遅く、自宅でパソコンで仕事中に、突然、腹背部から腹部全体に「万力で締め付けられるような」激痛が1時間ほど続き、四つん這いになってこれをこらえ、さらに1時間ほど後に、今度は胸背部から胸部全体に同じ症状が現れ、心臓に来るのではないかという不安があったといいます。
痛みは、筋肉が緊縮したような感じで、身動きが取れない状態だったと聞きました。
明け方、痛みが幾分こらえられるところで、手元にあった鎮痛剤(Sorelmon)を飲み、30分から1時間で何とか寝られるようになったとのこと。
筋肉痛が残っていたので、6時間を最低に徐々に時間を延ばしながら、痛みを見て、同薬を繰り返し服用し、27日の明け方の服用以後、薬はストップしました。
ただ、27日は筋肉痛と微熱が続いたそうですが、安静にしていて、なんとか症状は治まったようです。
28日も微熱はあったということですが、夕方、所用で外出し、外出先で今度は腰部全体を締め付けられるような激痛が始まり、上記薬を服用し、タクシーでようやく帰宅したということです。
友人は、血圧が高く、下肢に血行障害なども出ており、2か月前から、食餌制限(塩分、動物性脂肪)、1時間の散歩などを始めておりました。
インターネットで検索してみると、危険な症状のようでもあるので、病院に行くように強く勧めています。
上記の経過から、アドバイスなどいただければありがたいのですが
[MLでの返信]
(Kさん)
15年前に1年間救急医療に従事したことがあります。
確かに解離性大動脈瘤の危険性もあり、これまで生きているのが不思議であるといった可能性もあります。今すぐに救急車を呼んで、病院に運んでもらうべきでしょう。もしそれで大したことがなくても損失はほとんどありませんが、もしこのままにして命に関わるようなことがあればこれ以上ないくらいの損失になりえますので。
(Wさん)
紙田さん、こんにちは。
> 12/25の夜遅く、自宅でパソコンで仕事中に、突然、腹背部から腹部全体に「万力で
> 締め付けられるような」激痛が1時間ほど続き、四つん這いになってこれをこらえ、
> さらに1時間ほど後に、今度は胸背部から胸部全体に同じ症状が現れ、心臓に来るの
> ではないかという不安があったといいます。
これまでのどの時点ででも、救急車を呼ぶべきであったのではないかと思います。
急性大動脈解離が起こったものと思われ、しかも,範囲もかなり広範囲になってきているようです。
厳しいことを言うようですが、いつ突然死してもおかしくない状況と思います。
すぐに連絡を取られて、CTを緊急で撮れる病院(もう、御用納めを済ましている病院がほとんどだと思いますが……)にお連れしてください。
おそらく、そのまま入院になると思います。
今日からバカンスに……と計画している医者の話を昨夜は色々聞きました。
診断・治療がうまくできる先生がまだ病院に残っていることをお祈りいたします。
※緊急性を要すると思いましたので、先に電話を差し上げてからこのメールは書いています。
今日が半ドン(御用納め)だったので、早くメールを見ることが出来ましたが、こういう、緊急性を要する場合にはメールでは間に合いません。
紙田さんよりご連絡をいただき、入院された、のことでした。
ご報告まで。
[同日午後]
ワイフの運転する車でB病院ERに緊急入院。
このとき、MLに投稿したものをプリントアウトして提示、即絶対安静、CT検査となる。
○2001.1.1
[病室からMLへ発信]
皆さん、心配かけまして、申し訳ありませんでした。
つい我慢ができたので悠長なことを申しておりました。
大動脈は見事に下まで解離しておりました。
Wさんには、直接電話いただいたばかりか、緊急入院先のB病院循環器科まで来ていただき、とても感謝しております。
わたしの命恩人です。
また、MLで心配していただいた皆さんもまた、命の恩人です。
ありがとうございます。
現在病室からメールを送っています。
非常に疲れます。
それでも曲がりなりにも21世紀に参加しています。
5日ごろに2回目のCTスキャンがありますが、なんとか21世紀の役に立てるでしょうか。
なお、相談内容は私のことでした。
なんだかてれくさかったので友人のふりをしました。お許しください。
このメールも禁止されています。
○2001.1.18
[自宅から近しい周囲へ発したメール]
こんにちは。
じつは、年末に大動脈解離を発症しました。
1/9のCTスキャンで安定を確認、1/9から現在まで自宅療養中です。
12/25に発症、12/29緊急入院、25〜29日は僥倖の日々だったようで。
現在インデラル服用、少しぼっーとしております。メールを書くのも辛い。
また、いろいろ事情があり病気のことは秘密にしておりますので、直接家人以外には触れないでください(社員にも高血圧で療養中としてあります)。
○2001.1.27
[周囲へのメール]
お見舞ありがとう.
少し起き出したので、メールを書いてみました。
九死に一生を得たというのか、死に損なったというのか、まだ少し不安があるけれど、2、3カ月自宅療養で仕事もはじめられるかな。
[友人へのメール]
いろいろ、お気づかいありがとう。
背中が疲れたり、痛くなったりするので、まだ不安は残るのですが、あとは回復に向かっています。
絵のほうはありがとう。
こちらのほうも、前に話した娘の先生の絵のサイトを紹介します。
中国語のサイトですが、中国語をインストールするかそのままでも絵は見えるので問題ないでしょう。
www.wanfung.com.cun
画家の名前は、孫成新Sun Chengxin。
日本語の漢字では表示できないけれど、平音ならば大丈夫。
ご覧ください。
○2001.1.29
[友人Tへのメール]
来てくれるのか、悪いね。
こちらは、いつでもいいです。
ごろごろしているだけなので。
ところで、娘が貴兄の来訪を楽しみにしています。
中国の次はスペインと言っているので、貴兄のスペインの話をぜひ聞きたいとのこと(ダリのファンなんだ)。
スペインワインを用意しておくので(私はだめだけど)、いろいろ話を聞かせてください。
○2001.2.3
[友人Kへのメール]
久しぶりです。
当方、昨年末、大動脈解離を発症し、九死に一生を得、現在自宅療養中です。
回復までしばらくかかるもようです。
貴兄の実情などうかがいましたが、同様の問題は他の仲間にもあるようです。
みんなで考えていきましょう。
○2001.2.7
[友人Sへのメール]
少し、メールを書けるようになったので。
> さて真相はどうなのかしらん。
真相は、25日の深夜に発症し、この時点で生死の境にいたということになります。
我慢できたので、病院にいかなかったわけで。
Tと会った日も続きの症状があったわけです。
今は自宅療養だけれど、まだしばらくはかかる模様、薬のせいか、ペシミスティックな精神状態です。
メールを書くのも、ちょっと疲れた。
[新宿のバーのマダムなどへのメール]
ご無沙汰して申し訳ありません。
なんとかメールが書けるようになったので。
さて、小生、年末に倒れ、現在、自宅療養しています。
しばらくかかりそうで、当分新宿には出られそうもありません。
回復したら、また遊びに行きます。
皆さんも、体には気をつけて。
○2001.2.25
[近親へのメール]
(見舞い時の写真の)画像を送ります。
近々、再入院するようです。
はっきりしたら、連絡します。
○2001.3.5
[近親へのメール]
心配させて、申し訳ない。
胸部のほうで、解離の進行している部分があり、外科的な処置をしなければならないだろうとのことで、入院が予定されていましたが、外科的にもやはり手術は好ましくないとの判断で、このまま様子を見ることになりました。
つまり、破裂するか、固まるか、ということです。どちらにしても、時間がかかるし、はっきりしない。
娘も、北京行きを1月延ばしました。
○2001.5.23
[友人Tへのメール]
久しぶりです。
病気のほうは何とか落ち着きました。
ご心配かけました。
さて、最近描いた絵を整理しました。
暇なときにでも、見にきませんか。
どこにもないものであることは保証します。
私はアルコールはだめになりましたが、自宅でおとなしくしておりますので、いつでもお寄りください。
[新宿のバーのマダムへのメール]
病気のほう、何とか、一段落しました。
アルコールのほうはだめになりましたが、それでよかったら、近々、覗きに行きます。
[MLへの投稿]
昨年暮れに大動脈解離でアドバイスを戴いた紙田です。
一月の入院の後、自宅療養を続けておりますが、残存した2個所の偽腔も縮小傾向にありますので、とりあえず治療も一段落となりました。
来月から仕事も復帰しようと、その準備にとりかかっております。
ご心配かけまして、また、助言のほう、ありがとうございました。
とくにWさんは、入院先までお見舞いただき、感謝しております。
発症経過、βブロッカーの副作用等、変わった体験もしました。
生死の問題がありましたので、人生についての考え方も変化しました。
21世紀、50歳という、数字的な区切りもまんざら無関係というわけでもないような気すらする次第です。
何はともあれ、5カ月ばかり途絶えてしまった事後報告をいたします。
[北京にいる娘へのメール]
昨日、診察を受けました。
偽腔が縮小しているので、このままの治療で消えてしまうのではということでした。
これで、一段落です。
あと、1年は薬を飲みつづけるわけですけどね。
仕事も、来月から復帰する計画です。
合気道の体験はよかったね。
少し、習ってみてはどうだろう。
役に立ちそうだ。
○2001.5.25
[MLへの投稿]
> Wです。
> 悪夢にうなされる毎日……だったとか?(^_^;)
> # βブロッカーで悪い夢をみることがありますが……
インデラルの副作用に悪夢があるそうですが、その他に私の場合、躁鬱、妄想、記憶障害が生じたようです。
Wさんのことも詳細はよく憶えていません。興奮してよくしゃべったのは憶えています。
その他に、冷感、無感覚、熱感、疼痛などもありましたので、一月後、セロケンに変更し、精神障害は解決しました。
ただ、やはり、まだ神経痛のような痛みが現れるので辛いところがありますがね。
[MLへの投稿]
先ほどは、文頭に記名しないですいません。
さて、循環器関係の先生にお教えいただきたいのですが、解離の予後について、血栓化して凝固していわば壁になって血管にとって、注意しなければならないことはどのようなことでしょう。
また、このいくらか脆くなった血管の寿命についてはどうなのでしょう。
統計や実例のようなものはあるのでしょうか。
○2001.5.27
[友人へのメール]
私のほうは、治療が順調に進んでいます。
ただ、病気の性格上、当分アルコールはだめです。
来月から仕事のほうは復帰します。
連絡いただければ、たいてい自宅にいますので、待っています。
○2001.5.30
[友人へのメール]
タフな心臓と痛みに対する旺盛な忍耐心であの世に往かずに済んだ次第。
入院は一月だったが、まだ自宅療養中。といっても、血圧コントロールと食餌療法、今はウォーキングと筋肉運動に邁進。
克己心が強いので、標準体重と筋骨逞しい肉体に戻った、高校時代のようにね。
最近、創作意欲が迸るように溢れ、絵ばかり描いている。
明日から、いよいよ社会復帰のつもり。会社を建て直さなければ。乞協力。
○2001.6.1
[MLへの投稿]
ご回答、ありがとうございます。
さて、小生の治療は、月に一回の問診、投薬、3カ月ごとのCTスキャンということで、通院しております。あと1年はかかるようです。
5月のスキャンの結果、残存偽腔が縮小傾向なので、破裂することはないだろうという診断で、とりあえず一安心、仕事も復帰することにしました。ほっとしたところで、MLへの報告と相成った次第です。
現在は、病院では血圧コントロールの投薬、自身では食餌療法、ウォーキング、軽度の筋肉強化運動などをつづけ、薬の副作用(低血圧、神経痛など)以外は以前より健康のような気がします(肥満からほぼ標準体重へ)。
ただ、HPはもちろんですが、いくつかの資料を漁っていろいろ調べていたのですが、次のことをどのように考えるべきか、いま一つわかりません。門外漢にはどうしても分からないものがありまして……。Wさんに逆らうようですが、一般的な傾向を知りたいのです。
1 偽腔が消えない場合、動脈瘤と同じ扱いになると思うが、この状態で今後の動脈トラブルの危険度は、健康な場合と比較して、やはり高いということなのか。
2 偽腔が消失し、エントリがふさがり、壁ができた場合、まず、エントリの部位の血管は修復しないのか。やはり、血栓の状態でふさがっただけなのか。
また、エントリの血栓が溶解し、その部位が再度解離の原因になることも考えられるのか。
その場合、5年以内の問題発生は想定されるのだろうか(5年以内というのは、よくいわれる治癒の目安の年数として)。
3 解離の部位が凝固した血管は、通常に比較すると動脈硬化気味の血管と考えていいのか。あるいは、もっと脆いと考えるべきか。これも、トラブルの危険性は5年以内でどうなのか。(じつは、手元の資料に「Type (Stanford分類)は……(中略)治療により急速に低下して安定する.しかし,2年後くらいから危険性が上昇するのが特徴である」(主要な救急疾患の診断と治療『解離性大動脈瘤』外山論文、「診断と治療」vol.85/suppl.)とあるのが気にかかっているわけです)
ついでですが、アルコールの問題についても疑問があります。なぜだめなのかが、知りたいわけです。
1 β遮断薬との関係
アルコールの摂取により、血中のβブロッカーの濃度が高まるため、低血圧になり、ショックを起こすのか?
アルコールの量との関係はどうなのでしょう。よく1日にビール1本だと肝臓に負担がかからないからまあいいだろう、という話がありますが。
βブロッカーの投薬レベルが下がった場合はどうでしょう。
2 偽腔がある場合、血圧が上がるから問題なのですよね。血圧が上がらない程度のアルコール摂取量ならばどうなのでしょう。
3 偽腔がなくなって、βブロッカーも服用の必要がなくなった場合、アルコールが凝固した血液に作用する(溶解)ためなのか、あるいは動脈硬化に悪いということなのか。動脈硬化の予防ならば、ビール1本のレベルの話と考えていいのか。
アルコールを生涯断つこともできないわけではないのですが、絶対だめだという理由が知りたいのです。
以上、なんだか意地汚いような疑問ですが、お相手願います。
担当医師にも聞いてみたのですが、予後の血管の寿命については、統計を取るほどの数がない(急性の死亡率が高いため?)、ただ10年、20年生きている人はいますよ、とのことでした。
○2001.6.4
[友人へのメール]
元気ですか。
ようやく体調も回復し、本日から社業に復帰しました。
血圧が原因の病気でした。
最近、絵を描いているので、ときどき銀座に出て画廊や画材屋を覗きます。
たしか、銀座にオフィスがありましたね。
近々、都合がつけば連絡ください。アルコールはだめなのですが、お茶でもしましょう。
私のほうはまだ試運転なので、時間は自由です。
[友人へのメール]
> 私のオフィスは西麻布です。六本木から歩くと10分くらい。
いけない。麻布でしたね。銀座はたしか、貴社のイベント会場でしたね。
> 来週一週間、NYに出張なので、戻ってきたら、是非お昼にでもおいでください。昼
> 飯を食べましょう。
では、18日の週にでも会いましょう。事前に連絡します。
ただ、食餌を制限しているので、コーヒーのほうがいいのですが。
○2001.6.5
[友人へのメール]
久しぶりです。
お元気ですか。
小生は、ちょっと病気をしまして。
さて、はがきを送ったのですが、戻ってきました。
お宅の住所をお知らせ願えませんか。
体のほうは何とか回復しました。
これからはのんびり暮らしたいと思っていますが。
○2001.6.8
[友人へのメール]
> 昨日出張から帰ってきてくたくたです。
ごくろうさま。
がんばりすぎるんだろうね。
> 北京は、9月に出張予定です。
何かの折にでも連絡してみて。娘も吸収力の旺盛な時期なので、面白いと思う。
最近絵を描いているので、見に来ないかな。60枚ほどある。他にはないものであることは保証します。
ただし、私はアルコールのお相手はできないけれど。
[友人へのメール]
ようやく連絡がついたね。
アルコールはだめだけど、付き合うことはできます。
この間も、2丁目を三軒はしごしました、ウーロン茶で。
都合のいい日を連絡ください。
いま、プライベートも仕事も、どんどん出かけています。
○2001.8.26
[友人Tへのメール]
スペイン行きはいいですね。
ぜひとも、しっかり楽しんできてください。
ところで、パソコンは持っていくのかな。
あるいは、向こうでメールなどやり取りできる環境にあるのかな。
スペイン通信なんてのも楽しそうだしね。
時間が許せば、新宿あたりで会いたいね。
ウーロン茶ならば、はしごも付き合えるよ。
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(c)
Akira Kamita