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紙田彰【大動脈解離および解離性大動脈瘤についての情報】


[3.解離手帖]

覚悟しながら生きることの充実感 BBS編

○2001.9.7
 [同病者の掲示板への投稿]
 ・こんなページが!
 ここのオーナーは手術中なのですね。頑張ってください。
 私も大動脈解離で昨年末に倒れ、現在、通院中。
 先日の診察で、偽腔が縮小しないので、いささかブルーになっています。
 爆弾抱えて生きているようなもので、頼りない気がします。
 食餌制限やら体力強化など自己流でやっていますが、ストレスがたまりますね。
 皆さんがどのように暮らしているのか、教えてください。

 [同病者の掲示板への投稿]
 ・患者の心のうち
 Aさんからメールをいただきました。
 私の返信を、参考になることもあると思いますので、投稿しますね。
 私は、クリスマスの25日の晩、年賀状を印刷しているときにやってきました。
 下行大動脈全体に解離が起きました。
 12時に始まり、3度にわたり朝まで続きました。
 結局、激痛(体の中心部を万力で締め付けられたまま宙にぶら下げられたような痛み、と表現しています)をこらえて、29日に入院しました。
 この間に勝負はすでについていたようです。
 病院では緊急入院で絶対安静でしたが、ベッドにくくりつけられたのは1日だけでした。
 2週間後に退院し、自宅治療で、血圧のコントロールをしました。
 手術をしない場合は、それしかないようですね。
 再発すればしようがないと覚悟はしていましたが、やはり、ストレスは強いですね。
 最初のβブロッカーは妄想障害などをもたらしたり、神経痛様の症状が強かったり、結構つらいものがありました。
 医者の話では、血管は痛みを感じたり多少の運動くらいでは壊れたりしないからあまり気にするな、くらいのことを言いますが、なかなかそうはいきません。
 しかし、結局運動は5キロのダンベル2個を使った筋肉強化などをしっかりやり、13キロ痩せてたるんだ体を鍛えなおしました。
 先日、CT検査で2個あった残存偽腔のうち、末端のものは消失しましたが、胸部のものはぜんぜん小さくなっておりません。
 それで、ちょっとブルーになっていました。
 医者の話では、血管は修復はしないとのことで、凝結しているだけなので、元には戻らないといいます。本当に修復しないのでしょうか。
 ある文献には、修復するようなことが書いてありましたが。
 とりとめもなく、いろいろ書いてすいません。
 ところで、掲示板では、酒を呑むようなことを書いている方がおられましたが、医者によって大目にみることもあるのでしょうか。
 塩分制限、体重コントロール、動脈硬化対策、などやっておりますが、どうしても厳密にやるたちなので、ときどきストレスがたまります。
 医者も、責任問題があるので、そのへんをはっきりいいたがらないようなので、こちらもつい疑心暗鬼に陥ってしまいがちです。
 一人で考えたり、調べても、限界があるのです。
 情報と、心のケア、これが必要なのですが。


○2001.9.9
 [同病者の掲示板への投稿]
 ・オーナーのTさん、よろしく
 西葛西在住、50歳の紙田です。
 解離後、4日間はなんと自宅にいました。
 がまんができたので、生死にかかわるようなものとは考えなかったのです。
 病院に行ったときは、解離は済んで落ち着いていたのです。
 運がよかったのでしょうね。
 もっとも、いろいろ覚悟はしていましたがね。
 余計なことをいっぱい考えるんですよね。
 じつは、以前、あるMLで投稿したメールがあります。
 回答はつきませんでしたが、ご紹介します。
 ここだと、私の考えているいろいろのことを理解してもらえると思いますので。
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 さて、小生の治療は、月に一回の問診、投薬、3カ月ごとのCTスキャンということで、通院しております。あと1年はかかるようです。
 5月のスキャンの結果、残存偽腔が縮小傾向なので、破裂することはないだろうという診断で、とりあえず一安心、仕事も復帰することにしました。ほっとしたところで、MLへの報告と相成った次第です。
 現在は、病院では血圧コントロールの投薬、自身では食餌療法、ウォーキング、軽度の筋肉強化運動などをつづけ、薬の副作用(低血圧、神経痛など)以外は以前より健康のような気がします(肥満からほぼ標準体重へ)。
 ただ、HPはもちろんですが、いくつかの資料を漁っていろいろ調べていたのですが、次のことをどのように考えるべきか、いま一つわかりません。門外漢にはどうしても分からないものがありまして……。Wさんに逆らうようですが、一般的な傾向を知りたいのです。
 1 偽腔が消えない場合、動脈瘤と同じ扱いになると思うが、この状態で今後の動脈トラブルの危険度は、健康な場合と比較して、やはり高いということなのか。
 2 偽腔が消失し、エントリがふさがり、壁ができた場合、まず、エントリの部位の血管は修復しないのか。やはり、血栓の状態でふさがっただけなのか。
  また、エントリの血栓が溶解し、その部位が再度解離の原因になることも考えられるのか。
  その場合、5年以内の問題発生は想定されるのだろうか(5年以内というのは、よくいわれる治癒の目安の年数として)。
 3 解離の部位が凝固した血管は、通常に比較すると動脈硬化気味の血管と考えていいのか。あるいは、もっと脆いと考えるべきか。これも、トラブルの危険性は5年以内でどうなのか。
 (じつは、手元の資料に「Type B(Stanford分類)は……(中略)治療により急速に低下して安定する.しかし,2年後くらいから危険性が上昇するのが特徴である」(主要な救急疾患の診断と治療『解離性大動脈瘤』外山論文、「診断と治療」Vol.85/suppl.)とあるのが気にかかっているわけです)

 ついでですが、アルコールの問題についても疑問があります。なぜだめなのかが、知りたいわけです。
 1 β遮断薬との関係
  アルコールの摂取により、血中のβブロッカーの濃度が高まるため、低血圧になり、ショックを起こすのか?
  アルコールの量との関係はどうなのでしょう。よく1日にビール1本だと肝臓に負担がかからないからまあいいだろう、という話がありますが。
  βブロッカーの投薬レベルが下がった場合はどうでしょう。
 2 偽腔がある場合、血圧が上がるから問題なのですよね。血圧が上がらない程度のアルコール摂取量ならばどうなのでしょう。
 3 偽腔がなくなって、βブロッカーも服用の必要がなくなった場合、アルコールが凝固した血液に作用する(溶解)ためなのか、あるいは動脈硬化に悪いということなのか。動脈硬化の予防ならば、ビール1本のレベルの話と考えていいのか。
  アルコールを生涯断つこともできないわけではないのですが、絶対だめだという理由が知りたいのです。

 以上、なんだか意地汚いような疑問ですが、お相手願います。
 担当医師にも聞いてみたのですが、予後の血管の寿命については、統計を取るほどの数がない(急性の死亡率が高いため?)、ただ10年、20年生きている人はいますよ、とのことでした。


○2001.9.10
 [同病者の掲示板への投稿]
 ・私の体重コントロール
 発症前、83キロあった体重は、入院中に病院の食餌制限(ばかりではなく、血圧降下剤を大量に使用したため、躁鬱、妄想など、精神障害めいたものやらで寝てばかり、食欲減退などもあり)2週間で13キロ減少しました。
 自宅治療でも、薬剤を少しずつ減らしたりの段階や、気分的にペシミスティックになっていたりしたので、食べることに関心も薄く、初期のうちはそのまま動きませんでした。
 というより、やはり、体重も危険因子といわれていたので、カロリーに厳格になり、トイレに行くたびに体重計に乗る癖がつきました。
 もっとも、薬を飲むことと、カロリー制限することにしか何の関心も持てなかったような気がします。
 背中を意識して、動脈に刺激を与えないようにと考えたり(そんなこと、考えてもどうしようもないのですが)、あとは副作用の神経痛に悩まされながら、関節の拘縮を改善するように寝ながら運動したりといったところです。
 動かさないのだから、背中の筋肉や胸の筋肉が痛くなるのは当たり前なのでしょうね。
 それで、2月ごろから雪の中、近所を少しずつ散歩し、次第に45分のウォーキングをするようになりました。怖がっていてもしようがない、というわけでした。
 自宅治療中には油絵を描くようになり、夏までに10号16点、水彩(四つ切り)を入れて30点は描きました(自慢したいのです。誰かにこの時期の気持ちをアピールしたいということがあります。お分かりいただけますよね。ちなみに、絵のいくつかはhttps://kamita.net/akira/ryokuji/にあります)。
 えーと、これではリハビリ記になりましたね。
 また、いずれ書きます。いろいろ問題はありましたから。ここを見る方のお役立ち情報になりますよ。

 さて、体重は、最初はカロリー計算を厳密にやっていましたが、標準体重に一度落としたら(標準体重には本当あと3キロ足りません。しかし、171センチ、69〜70キロの今が体調はいいようです)、魚、野菜を一応メインにするような気持ちで、あとは朝晩体重計でチェックし、目標体重+1キロを危険ラインとしてこれを超えたときだけ翌日カロリー制限するという方式で、現在維持できています。
 塩分は意識してとらないというような気持ちで、とるぞというときはグラムを計算するということをすれば、禁止しているという強制的なものが薄まるので、ストレスがたまりません。
 私は辛党だったのですが、甘いものでストレスを発散させています。
 これも、上記の方法でカロリー制限は直接しないで、体重チェックでやっています。
 医者には、塩分の制限以外は言われていません。アルコールは偽腔がある間はだめだと言われていますが、血栓化すればよさそうな感じではあるのです。
 心のストレスのほうが血圧以外にも大きな問題となるので、少しは抑制し、少しは開放するというようにしています。
 とはいっても、ときどきは気持ちが落ち込みますね。


○2001.9.15
 [同病者の掲示板への投稿]
 ・がんばって!
 オーナーのTさん、頑張ってください。
 Tさんのやる気がわたしたちの希望のひかりですから。


○2001.9.28
 [友人Tへのメール]
 忙しいようですね。
 さて、今日の夜、あいてないかな。
 新宿あたりで会わないか。
 私はウーロン茶でもたせられるよ。
 葛西にこもっていると、人恋しくなってね。
 メールが間に合えば、かな。
 どういうわけか、貴兄の電話番号が見当たらない。


○2001.11.19
 [友人Kへのメール]
 メールも使いこなしているようですね。
 日本語変換もずいぶん馴れた模様で。
 体のほうも、危険性がなくなったわけではないのですが、日常的には以前よりも痩せて、管理もしっかりやっているので、かえって健康的かな。
 さて、時間があれば、仕事帰りにでもお寄りください。
 Kさんの感想を聞きたいなあ。


○2001.12.12
 [同病者Aさんへのメール]
 解離のページで以前、メールをいただきました。
 さて、Tさんの件ですが、手術で問題があったようですね。
 事情をお教えください。
 同病者として非常に気になっています。
 術後、なんだか、書き込みがしづらくて、Tさんが元気になってからと考えておりました。
 わたしは、もうすぐ一年になりますが、冬に入って、リューマチのような症状も出て、なんだか体がつらい状態です。
 血管とか、薬とか、関係があるのでしょうか?
 お心当たりがあればお教えください。

 [同病者Aさんへのメール]
 メール、ありがとうございます。
 Tさんの手術の内容がよく分からないのですが、やはり高いリスクがあるのですね。
 ステントグラフトは、かなり安全度の高い手術のようですが、まだ新しい技術なので、術後の統計などが少ないようですね。
 わたしも、Aさんと同じに、手術しないで済んでおります。
 偽腔も大きくなってはいないようです。
 このままいくか、血栓化して消失してしまえばいいのですが。
 昨年末に解離し、春先まで寝ていましたが、右足の関節を中心に拘縮を繰り返し、何度も自己リハビリをしていました。
 夏場はよかったのですが、冬に来て、右下肢の全関節が順番に拘縮し、整形で検査し、リューマチの初期ではないかとのこと。ただ、まだリューマチ反応は出ていません。
 母と妹が重度のリューマチだったので、ひどいときに検査をしてみたのです。
 しかし、解離とリューマチとに何らかの相互関係でもあるのかもしれないのかなあ。
 循環器の医者には思いもつかないでしょうが。
 背中の痛みは、疲れたりすると来ますし、夏の具合のいいときでも(鍛えていても)けっこう来ました。
 医者は同様に、血管と関係はないといっていました。
 療養中に背筋が弱っていたせいにしては、ちょっと違う気がしていました。Aさんも同じようなことがあったのですね。うーん。
 わたしも、再度の解離はあるかもしれないと覚悟はしています。
 インターネットでの情報ではステントが安全のような気がしていますが。
 この一年、いろいろ毎晩考えていますが、覚悟しながら生きるのも、悪くないような気がしています。
 Tさんを励ましたい気はしますが、同病者でも、やはり難しいですね。
 そこを通った人の体験談なら希望になるでしょうけれど。
 お互いにつらいところですね。


○2001.12.26
 [同病者の掲示板への投稿]
 解離を発症してから一年たちました。
 偶然にも命拾いしてのこの一年……。
 生と死について考える毎日でした。
 けれども、五十歳という年齢のせいで淡泊になっているのか、そのことを考えながら寝に入ることが、毎晩の楽しみでもありました。
 ホーキング博士も、このようにして宇宙論を考察していったのでしょうか。

 いつまた解離が発症するかもしれないという不安は、拭いきれません。
 しかし、生き延びている一年という時間は、宝石のようなものだと感じています。
病気を契機に絵を描きだすなど思わぬ方面に触手を伸ばしたりして、日々一日に対する向き方が、たしかにこれまでとは異なってきたようです。
 どのような形であれ、生きることと自分に向き合うことをこれほど切実に考えたことは、なかったかもしれません。
 私にとっても、ビッグバンが起こり、新しい宇宙が展開されたのだと捉えています。

 同病の方は、状態の軽重はさまざまですが、つねにこうしたことに直面しているわけで、そのような意味では仲間であり、同志であると考えています。
 Tさんのページが、多くの仲間に、患者の立場からの貴重な情報を提供しつづけることを願っております。
 www.a-kamita.jp/ryokuji/
 に、自己流の絵のページがあります(解離シリーズ DISSECT I-IVも)。
ご笑覧ください。


○2002.1.1
 [直江屋の掲示板に]
 謹賀新年 2002

 永遠なんて、偶然のほんのひとまたぎ

 一年一年、日々一日を大切に過ごしていきたいと思います。


○2002.1.3
 [直江屋の掲示板に]
 日々新たなり
 寒あり、暑あり
 ただ、新たなり
   新年に寄せて


○2002.2.27
 [友人Tへのメール]
 久しぶりです。
 さて、私も、実は少し落ち込んでおります。
 昨日の診察で5カ月ぶりのCTの結果が出、結局偽腔が閉じないままでした。
 担当医も、これと付き合うしかないですねとのことです。
 帰宅後、デッサンしてみました。5センチの長さで動脈の中に袋ができた感じのものを見ていると、けっこう大きいのだなと思いました。
 ステントグラフトも手術のリスクとのトレードオフを考えると……、変調が出るまではだましだまし暮らしていくことになるのでしょうね。
 多少のアルコールは許可が出ていましたので、やけ酒気味に一杯だけ呑んで寝ました。
 明朝は、晴れるといいなあ。
 気分を入れ替えて、早朝のウォーキングをするつもりです。

[同病者Aさんへのメール]
 Tさんのこともあるので、他の方と比較するのはどうも心苦しいところです。
 しかし、いろんな方がいるのだから、病状を比較して一喜一憂するのは仕方のないところなのでしょう。
 また、そのような情報交換で力づけあうのが、あのような場所なのだとも思います。

 私の解離は下向部全体だったのですが、エントリから5センチくらいまで偽腔になって残ってしまったようです。
 これが、固まってしまわないかと願っていたのですが。
 袋とは、この状態をイメージしたものです。この部分が少し外に膨らんで、しかし血管内の圧力のバランスから内膜が中央にたるみ気味になり、袋のようになるのではないかと考えたわけです。
 この爆弾の袋、血圧コントロールしかなだめようがないとの医者の話です。
 手術も選択肢の一つですが、現在のままやっていければそれが一番安全という気がします。
 もっとも、この部分が膨らんでくるようだと、その時点で考えなければならないのでしょうけれど。

 ご心配と励ましいただきありがとうございます。
 この一年と同じように前向きになるつもりでいますが、ちょっといろいろ振り返っていました。あらためて、甘い気持ちで生きていてはならないのだと考えています。
 一日一日が、私にとっての宝石なのだと。


○2003.3.31
 [同病者の掲示板への投稿]
 Kさん、Aさん(こちらはメールで)、激励ありがとう。
 今朝はあいにく雨でウォーキングはやめましたが、明日こそ晴れないかな。
 とにかく、私はKENさんの3年2カ月という、目標ができました。ありがとう!
 一日一日が、私にとっての宝石だと思っています。


○2002.4.15
 [同病者の掲示板への投稿]
 はじめまして、タラちゃん。
 久しぶりです、Tさん。
 さて、ステントクラフトの件、私も興味あります。
 手術された方の術後や、手術への適応、リスク、その他体験者でなければわからない問題など、情報がぜひほしいものです。
 私も都内在住ですが、タラちゃんの手術した病院をはじめ、具体的な病院の情報も知りたいと思います。
 私は解離後1年4カ月になりますが、下向大動脈に限局されるスタンフォードB型で、2月のCTスキャンでエントリを中心とした偽腔が5センチ長残り、血栓化はしないだろうという診断でした。正直、ちょっと気落ちしました。
 じつは、ここのところ天候が悪いせいか背中に少し痛みがあったのですが、先日、朝のトイレ後背中の痛みが強くなり、夜になって血圧が170台になり、βブロッカーなどの降圧剤を呑んで安静にしていたのですが、結局6時間ほど下がらないで、不安を感じていました。
 明け方血圧が120台に下がりましたが、背中の痛みは炎症を起こした後のように続きました。
 一時は、解離が再発したか、偽腔が大きくなったのかと心配しました。
 もちろん、塩分管理など万全でした。
 血圧はその後上がっていませんし、痛みも「あの痛み」ほどではないので、今週末が診察日なので、それまで静かにしていればいいかなと考えています。
 しかし、このようなことがあると、やはり、偽腔が閉じていればと考えるのです。
 ここでの患者同士の病院情報の交換や開示は、オーナーのTさんの考えにもよりますが、切実なものだと思います。


○2002.4.15
 [聖路加病院渡辺先生へのメール]
 はじめまして。
 先生のページを拝見し、心強く思っております。
 私は大動脈解離後1年4カ月になります。スタンフォードB型で手術なしで済みましたが、2月のCTスキャンでエントリを中心とした偽腔が5センチ長残り、もう小さくはならないだろうという診断でした。
 じつは、先週の金曜日、朝のトイレ後背中にこわばるような痛みを感じ、夜になって血圧が170台になり、βブロッカーなどの降圧剤(現在、1日につき、セロケン20mg、カルデナリン2mgを2回、アムロジン5mgを1回。これの1回分を頓服的に)を呑んで安静にしていたのですが、結局6時間ほど下がらないで、明け方ようやく120台に下がりました。背中の痛みは炎症の後のようなものが続き、今でも軽く残っております(ただ、昨年末リューマチらしいとの診断を得、そのせいかもしれません)。ここのところ天候が悪いせいか背中に少し痛みがあったのですが、一時は、解離が再発したか、偽腔が大きくなったのかと心配しました。
 退院(昨年1月末)後、血圧は120目標にコントロールできており、もちろん塩分管理なども万全でしたし、薬もすぐ効き、こんなに長い時間血圧が高レベルということもありませんでした。
 血圧はその後上がっていませんし、痛みも「あの痛み」ほどではないので、今週末が診察日なので、それまで静かにしていればいいかなと考えています。
 ただ、なんとなく、胸や背中がもやもやとするので(造影剤をした後の胸のもやもやに似ております)、不安になりましてご相談する次第です。
 偽腔のある状態で、再発などの危険性はどの程度で判断すればいいのでしょうか。
 私の場合の、170〜180の血圧が数時間続いたというのは、それほど心配はないのでしょうか。
 *WEBで公開されている下記の聖路加国際病院ハートセンター・心臓血管外科の渡辺直先生の相談ページから送ったメール
  http://www.ne.jp/asahi/sw/luke

○2002.4.16
 [渡辺先生からの返信]
・大動脈解離の御質問に対して
鎖骨下動脈分岐部より若干遠位部のエントリーを有するDeBakey III型(Stanford分類でいえばB型)の慢性解離ということだと想像いたします.そしてこの鎖骨下動脈分岐部遠位から先がすこし拡大した状況で血栓性閉塞せずに残っており,この部分に将来の拡大の可能性が潜んでいる,ということですね.
B型解離の型の残存偽腔がどのような経過をたどるのかについては,個人差が大きくて一般論では言えません.血圧が多少不安定でも解離腔の拡大がおこらない方もいらっしゃいますし,一方では偽腔部分の血管壁の脆弱性が災いして,けっこう血圧管理がよいのに偽腔が次第に拡大して切迫破裂となり,手術を急がなければならない場合もあるのです.
あなたの今回の症状は,このような解離腔の拡大を若干疑わせるような症状であることは間違いないでしょう.しかし,本当に解離の伸展,拡大でおこった症状なのか,そうではなく,神経痛(様)の痛みとして放置,あるいは鎮痛剤対処によって対処してよいものなのか,やはりCT撮影などを行わないと判別は難しいと存じます.今週末の診察日にすぐにCTを撮ってもらえる体制がとれているのかどうかわかりませんので,主治医の先生に先週金曜日のエピソードをお話した上で,出来る限り早い時期に再度のCT撮影を受けられることをお勧めします.腎機能などに問題がなければ,やはり造影剤を入れての撮影が診断力が比較にならないほど大きいので,その線で予約をとって撮影を受けてみてください.
一般論的には解離腔を含めた拡大部大動脈の径が55〜60mm以上の場合,あるいは5mm/yr以上の径拡大がある場合には拡大部を人工血管に置換する手術を受けていただくことがガイドラインとして勧められます.

 [渡辺先生へのメール]
 お返事ありがとうございました。
 早速主治医に電話し、診察に行くことになりました。
 とりあえず、御礼まで

 [渡辺先生へのメール]
 B病院でCTスキャンをしてもらった結果、前回と変化はないとのことで、一安心しました。
 先生のアドバイス、感謝いたしております。
 しかし、このようなことがありますと、ステントクラフトはどうかなどとも考えております。
 ご報告まで

 [渡辺先生からの返信]
・ステントグラフトについて
この4月から保険適用にもなったステントグラフトですが,これまで大学を中心とするいくつかの研究機関で実践をされた内容を振り返って,現状では反省期に入っているという感慨があります.胸部下行大動脈に用いる場合には鎖骨下動脈からある程度の距離をもって瘤化が始まっていないと,カーブした大動脈弓部でステントが十分に内腔から外側につっぱりきれず,すきまが生じてしまうために効果が得られないことが多いようなのです.あなたの解離腔がどのような始まりになっているが,直接画像を拝見していませんので何とも言えませんが,現状のデバイス(道具立て)では上記の限界が知られていることは御承知おきください.(もちろん将来的にデバイスが改良されれば安定したよりよい成績が得られる可能性が大きいので,その意味ではあまりあわてずに状況を見極めるのがよいかもしれませんね.)
もしステントグラフトを御希望であれば,一度,東京医大第二外科の石丸教授を訪れることをお薦めします.最も早期からステントグラフトを積極的に適応し,豊富な(おそらく日本で一番の)臨床経験をお持ちだからです.さらによいことにはその豊富な症例数を踏まえて,現在ではきわめてreasonableな適応で治療を行おうとする姿勢をお持ちだからです.私も過去に2度ほど石丸先生にステントグラフトの適応の是非についておたずねし,可能であればお願いしようと画像などを情報提供して御相談にのっていただきましたが,いずれの症例でも結局は手術の方がよいだろうということになり,当科において手術をした,という経験があります.


○2002.4.17
 [同病者の掲示板への投稿]
 ステントグラフトの第一人者は東京医大の石丸先生ということらしいです。
 この技術は10年を経て、現在は反省期ということで、問題点の改善が進んでいると、聖路加の渡辺先生がメールをくれました(じつは、ステントグラフトの質問などをしたのです)。
 たしかに、患者の側からは手術実績と患者の側からの評価なり術後経過がポイントになりますね。
 そういった情報が集まるといいと思います。

 [渡辺先生へのメール]
 渡辺先生へ
 メール、大いに感じ入っております。
 先生のホームページ然り、治療に対する医師の揺るぎのない情熱に、感激しております。
 患者としても、生きることに情熱的でなければと、自戒する次第です。
 ありがとうございます。
 私の亡父は生涯一臨床医として世を送りましたが、その不肖の息子として、医業の大変さはいくばくか存じているつもりです。
 そのうえでなお、先生のなみなみならぬ医の心というものに驚嘆する次第です。
 今後ともご活躍、念願しております。
次ページ[4. その後]へ

(c) Akira Kamita

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