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紙田彰【大動脈解離および解離性大動脈瘤についての情報】


[4.その後](2003.11.22 更新)

同病者とのやりとりなどから


【K. K.さんからのメール 2003. 9】
初めまして。
突然で申し訳ありません。
今年7月3日に腹部大動脈に急性大動脈解離を発症した43歳の男性です。
ネットで検索中紙田氏のサイトにたどり着きました。
発症後間もない時期で不安だらけの日々を過ごしておりますので紙田さんの経験を参考にさせていただければとメール致しました。
私は2週間の入院と2週間の自宅療養を経て職場復帰しております。
日常生活、食生活で特に注意されていること、制限されていることなどありましたらお教えください。
妻と2人の子供のためにもまだまだがんばらなければいけませんので……。
よろしくお願い致します。

【返信 2003 .9】
メール拝見しました。

大変でしたね。
いっぺんにいろいろ書くわけにもいきませんので、とりあえず簡単なことからお返事します。
私は、この病気について、私なりにシビアに考えていますので、その点ご理解ください。

私は偽腔(解離性大動脈瘤)が残ったので、この監視をしながら、2年半、生活しています。
ですから、同様の状態と想定して、経験を書きます。
あくまでも、私の見解ですので、あしからず。

2週間の入院、その後自宅療養というのが同じですね。
私の場合、仕事を再開したのは半年後くらいでした。

同時期に問題となったのは、
1. 薬
2. 関節の拘縮などがあり、このリハビリ
3. メンタル面での葛藤
4. 塩分管理
5. 減量
6. 食事について
7. 運動、日々の動き
8. 仕事について
などです。

1. 薬
βブロッカーなど自律神経に作用して心臓をコントロールする薬は、精神障害を起こす場合があるので、注意する。私の場合、躁鬱、妄想障害などが出て、医者がなかなか認めたがらないのでしたが、別の薬に変更して、障害がなくなりました。
また、関節痛や、神経痛など、おそらく血圧管理が利きすぎて低血圧になるために生ずる問題があったので、2ヶ月くらいかけて医師に薬の減量をさせました。
無駄な薬は、いろいろ障害を起こすので、必要最小限のものにするよう、よく相談することです。
CTなどの血管造影剤のせいで腎臓障害が出たりすることがあります。このとき、そのための治療薬で重い副作用(発疹から始まり、重度の全身病になるものなど)を起こす場合がありますので、薬はWEBなどで検索して、よく調べておくべきだと思います。
私は、βブロッカーについて早くから調べ、医者と交渉することができました。

2. 療養時期が冬だったこともありますが、神経に障害が来て、手足の関節が拘縮したり、氷のような冷感・疼痛を覚えたりしましたが、軽い筋肉トレーニングから始め、ウォーキングなどで回復しました。

3. これが、重要なのですが、再発、手術などのリスクは高いので、それなりの覚悟をするようなメンタル面での訓練が必要かと思います。

4. 治療法は、つまるところ血圧コントロールしかないわけなので、塩分管理はしっかりすべきです。といっても、ストレスをどう散らすかということも必要です。最初は、8gを厳密に計算するようにしながら、あとは取り過ぎないという気持ちで調整できるようになります。
一日の量、あるいは1週間の平均というような気持ちで多少アクセントをつけてガス抜きをしています。ただ、ラーメン、焼き鳥などは禁止食にするなど、歯止めを課すという気持ちも維持しています。

5. 肥満は血圧を上げる要因ですから、標準体重に近づける努力が必要です。私も、しばらくはトイレに行くつど体重計に乗るなどしていました。しかし、現在は油断をして少し太りました。最初はカロリー計算などしましたが、やはりあまり厳密にならず、量を減らすことと、脂肪分を減らすなどの意識と習慣を作るということでしょうか。

6. 塩分以外はそれほど気にかけません。精神的なストレスのほうがよくないと思います。
アルコールは、1年過ぎてから、医師に強引に承諾させて、少量を1日おきと、ルールを作って飲んでいます。

7. 血圧を上げるような運動はやはり止めました。また、荷物持ちなども敬遠しています。
激しい運動だけでなく、夫婦喧嘩なども抑制し、昂奮することは避けています。最初、セックスは怖かったのですが、適度ならば大丈夫。
風呂などは、熱い風呂に入りたくなるのですが、これを避けるためにシャワーだけにしています。
タバコは、動脈硬化にも非常に悪いくらいで、もちろんやめるべきですし、副流煙を吸うようなことも避けるべきです。

8. 最後に仕事ですが、これは人生の問題と関係するのですが、よく考えなければならないと思います。
私は、会社が傾いていたこともあったのですが、会社を畳みました。私の場合は、二人の子供がすでに高校を卒業していたので、自分のことを中心に考えることができたのです。
生命保険も、新規にはかけられないので、今のものをかけつづけ、これで何かあったときの安心にしています。
仕事は肉体労働は問題があると思いますが、通常の仕事を、無理をしない程度ならば大丈夫と思いますが、徹夜やストレスが溜まるようなものは考えものです。
この点は、人それぞれの人生観の問題なので、何ともいえませんね。

あとは、血圧測定は、朝、トイレ後の数分後に測定(上下血圧、脈拍数)し、これをデータベースに入れています。このとき、体重も記録しています。
血圧が120前後までなら問題ないのですが、140以上がちょっと警戒、150、160から何時間も下がらない場合は医者に相談、180以上が何時間も続く場合は病院に電話して専門医の指示を受けるというルールを作っています。

注意しなければならないのは、治療は原因を除去したり、解離した血管を再生したりして治癒するわけではなく、CTなどで血管を監視し、薬物で血圧管理するだけなのです。
監視の目にうまく引っかかれば、手術などの方法が考えられるということになります。
さらに、もし再解離したり、偽腔が増大した場合、どのような処置があるのかを知ることも大事です。
このあたりを詳細に述べたのが、
http://www.ne.jp/asahi/sw/luke/
の渡部医師のページです。

とりあえず、こんなところです。
お子さんが独り立ちできるようになるまでは心配ですが、自分の体と精神に負担をかけないで上手に生活する方法を見つけ出せればいいのですが。


【K. K.さんからのメール 2003. 11】
今日紙田さんのホームページを拝見してびっくりしました。
のぞいてみますと、なんと私からのメールが載っているではありませんか。
あのとき紙田さんにすがるような気持ちでメールしたことを思い出しました。
紙田さんのアドバイス、厳しく受け止めましたが紙田さんのようには生活制限ができておりません。摂取カロリーの減少でに4kg程はやせましたが……。
血圧は100〜120台、朝が少し高くて130後半というのが時折ある程度で落ち着いてはいます。
発症3ヶ月後のCTでも大動脈径は不変でその他特に異常はありませんでした。
ですが、まだ精神的には立ち直れておらず睡眠不足が続いています。
3〜4時間ほどは眠れるのですが、朝4時前後に必ずトイレにおきてしまいその後が眠れません。
朝がきついとか仕事中眠いとかはないのですが、4時から7時頃までの時間に考え事をする日々が続きます。
何も考えずに眠れればいいのでしょうがまだまだ無理なようです。
実際自分ではこの病気に対してできることはないのですから、なるようにしかならないと割り切ることが大切なのでしょうが……。

【返信 2003 .11】
メール、拝見しました。

先日、同病者で同じような悩みを抱えている人がいるに違いないと思って、K. K.さんへのメールを公開しました。

さて、あれから三月たって、状態は落ち着いたようですね。
血圧管理、体重管理がうまくいけば、安定期ということになると思います。
これからは、生活全体の管理、とくにメンタル面の管理が大事になってきますね。

ちょっと、お説教みたいになるかもしれませんが、K. K.さんは、こんな話を求めているような気がして……。

私も、夜はなかなか眠れず、病気のこと、死のこと、家族のことと寝ながら考えてばかりいました。
病気のこと、家族のことは結局、どうにもなりませんし、残された人は必ず引き続いて生きていくので、自分の死による影響は、それぞれの人生で克服することになる個別の問題でしかないと考えました。
つまり、死は人間の歴史の中ではつねに繰り返されてきたもので、かならず公平にやってくるものですね。
死への特別の思い入れは自分の死にはあるかもしれませんが、結局、自分以外の死は人生の一部でしかないのです。
家族は父親が死んだ場合には、そのことを受け入れて生きていくだけなのです。
家族への思いはありますが、それは家族のそれぞれの問題ということになります。
残された家族が次の人生を選択し、切り開くということだと思います。

ここまできて、私は今度は死の問題を考え続けました。
死は哲学的な問題、宗教的な問題、宇宙論まで広がり、妄想も含めて抽象的な思考に耽りました。
そのうちに、寝られなくなると、目をつぶるでもなくこのような思考を続けていることに非常に興味が湧いてきたのです。
死の痛みについては、解離のときに「最大の痛み」を経験しているので、もう怖いことはありません。
ですから、死を純粋に存在論の問題として考えることができるわけです。
恐れたり、哀しんだり、不安になったりせずに、死を入口に神や宇宙について考えていく旅を、夜毎に続けていくわけです。
自分の死を根拠にしているわけですから、宇宙の消滅も何も、怖いものはありません。
現在もときおり続けていますが、正直、何かから解放されたようで、この経験はじつに充実したものでした。
眠い時でさえ眠気を払って、この宇宙への探検に出かけることが楽しくてしようがなかったのです。

身体は生活のリズム、疲れなどで必要な時に眠りを誘ってきますが、眠れない時に眠ろうとして疲れきってしまう無駄な努力よりも、自分が今手にできるこの旅の夢に浸ることは、自分が自分のために使える残りの生そのものだと考えたわけです。

もちろん、家族のいる生活があり、家族のために残りの人生を生きるという人生観もあるので、このようなことばかりしているわけにもいかないでしょう。
しかし、身体は必要ならば体の方から休息を求めてきますから、眠れないことに気をやむことはないと思います。安定剤や睡眠薬などは、自分の思考が解放されるような経験に水を差すような気もします。

そうしているうちに、気がつくわけです。
人間は必ず死ぬということを観念的にはたしかに知っているが、自分が死ぬということを具体的に考えることはできず、自分は永遠に生きつづけるという妄想にとらわれているのではないか。
しかし、我々は(同病者は)、肉体の限度に直面して、必ず死ぬということを確信してしまったわけです。
だから、死んだ後のことを計画して生きていくわけにはいかない。せいぜい一年ごとに自分の人生を考えなければならない。
つまり、人生についてある確信が生まれ、そのために非常に楽観して生きていくことが可能になったというわけです。
あと一年の間を、どのように必要な人生を過ごしていくか、ということです。
しかし、この病気は、いつ死ぬかは決められていない。私は、交通事故で死ぬ確率とたいして違いはないのではないかと思っています。
永遠に死ぬことはないという妄想にとらわれて長い人生設計に縛られていくより、よっぽど自分の人生を生きていくチャンスに恵まれているというふうに考えるわけです。

自分はそれでいいかもしれないが、周りの人間はどうなるのか、という考えもありますが、前に述べたように、人間は幼かろうが、弱かろうが、結局、自分ひとりで生きていくわけです。
これまで、自分や、自分の父祖はそうして今の自分に到達している、そういうことです。

あまりに観念的な考えだと思われるでしょうが、少なくとも私はこのような形で死についての自分の立場を克服しているつもりです。
まあ、私の環境が恵まれているせいなのかもしれませんが(子供が20歳をすぎている)、それにしても、もしものときに可能なことは限られているのですから、その責任をいろいろ考えてもどうしようもありません。
あとの人間は、逞しく生きていく、まずそう信じることではないでしょうか。
そうして、もしものことはやはり覚悟して、日々の宝石のような人生を大切にしていくということにつきるのだと考えますが。


【あるBBSへの書き込み 2003 .10】
私も、本日通院日でした。
血管のほうの変化はないのでいいのですが。
腎臓の検査数値が少し悪いのと、リウマチでこわばり、関節の腫れなどが出ています。
(前にアロシトールでひどい副作用が出ました。4日でやめましたが、Stevens-Johnson症候群にかかるところでした。CTの造影剤のせいで腎機能が落ちるので、処方されたものです。Stevens-Johnson症候群は最近うわさの病気です。こわいこわい)
前に、Aさんへのメールで書いたのですが、リウマチと解離との関係は考えられないかと思っています。
血管の細胞に対する自傷というようなことですが。
なにか、思い当たるような方はいらっしゃいますか?

【あるBBSへの書き込み 2003 .10】
このところ、朝晩の冷え込みが始まり、やはり血圧が高めになっています。
あるいは、油断していて少し体重が増えたせいかもしれません。
足の関節に腫れがきて、ウォーキングができなくなったせいもありますが。

ともあれ、この冬を乗り越えて、もう一年の人生をひとつずつ重ねたいですね。

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(c) Akira Kamita

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