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戒厳令下の北京を訪ねて

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 1989年6月4日、天安門広場で未曾有の大虐殺が行われた。
 私たちは、虐殺の開始と同時にテレビに、ラジオに、またはネットワークの通信社の配信サービスにかじりつき、丸腰の多くの人々が無差別銃弾に倒れ、戦車や装甲車に押し潰されていくさまを、まるでその場に居合わせているようにして見つめつづけていた。
 私たちにできるのは、こうして、あそこで何が行われたかを必死で見つめつづけることであった。
 その数日後、私は命からがら逃げ帰る日本人観光客の哀れな姿をテレビで見て、これは逆ではないのか、私たちは見ておくべきではないのか、あそこで何が行われているのかをしっかり見つづけるべきではないのかと考えていた。
 この問題は国家とか、体制とか、主義主張を越えた、純粋に人間存在の重大な問題である。そしてなにより、私たちはこの目でじかに見たと同じような感覚を抱いていた。いや、事実を見ていたのだ。これは、人間の生命と存在に対する、まぎれもない感受性なのである。
 私たちは、人間をゴミのように扱う権力というものの姿、人間を抑圧するものの強権的な姿と、どのように人間というものがそれに立ち向かっていくのかということを、目の当たりにしたのである。
 そのようなとき、私は何ができるのか。
 私は、天安門広場に行ってみようと思い立った。
 少なくとも、私は中国に行くことができる。現実に大虐殺の行われた広場に立つことによって、虫けらのように殺され、始末されていった人々の心と繋がることができるのではないか、そう考えたのだ。
 戒厳令下の北京に行くことは可能だった……。


(c)1989, Akira Kamita

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