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サマータイムを採用しているせいもあって、東経121度のこの都市は夕方の5時を過ぎたというのに3時くらいの明るさで、タラップを降りるとむっとする熱気が私を包み込み、その熱さの中には何か懐かしい匂いが混じっているような気がした(成田発13:50、前回の時刻は間違い。到着はほぼ3時間後の17:00)。
上海虹橋機場(Shanghai Hongqiao Jichang)は市の中心から西へ17キロほどのところにある。上空から見た感じも、何やら寂しい気がしたが、滑走路も、空港建物の中もがらんとしていて、とにかく外国人の姿が一つもない。
入国審査も税関も、ほとんどフリーパスのような状態で、あっという間に済んだ。おそらく、中国が外国人旅行者に寛大であることを対外的にアピールするための措置なのだろう。それは治安が回復されていることを無理に誇示しているということなのだろう。
両替所がクローズしていたので、外貨兌換券(ワイホイ)を用意できないこともあり、タクシーでとにかく適当なホテルに行くことにした。
客待ちしているタクシーはとんでもない中古車で、客席のシートだって中身があちこちからはみ出しているというような代物である。しかし、気の弱そうな太った運転手はなかなかの腕前で、人も自転車もかすめるようにして、夏の光を葉叢に燦かせたプラタナスの並木の続く道をとんでもないスピードで走るのだった。
ひと昔前に、神風タクシーというのがどこかにあったなあと、呟いてみた。
市内に入ると、仕事帰りの時間もあって、いきなり自転車の数が増え、屋台やそれに群がる人々の数が増え、道路に車が走るなど知っているのか知らぬのか、どんどん人があふれてくるのだった。パリなどでも、人々はおかまいなしに車の前に飛び出してくるが、ここの規模たるや、そんな話の比ではない。自転車が、労働者が、女性が、子供が、学生が、老人が、あちこちの路地から湧き出るようにして、道路という道路にあふれているのだった。
淮海中路と瑞金一路の交差したあたりにある錦江飯店(Jin Jiang Hotel)は上海を代表するなホテルであるが、運転手は同じ敷地に新築された新錦江(Jin Jiang Tower)という超デラックスなホテルに埃だらけの車を着けた。
右も左も分からないので、最初の一泊はしようがないと思っていたので、おそらくその日ただ一人の外国人として、このホテルに宿泊した。271元(1元39円、1万569円)、もちろんツイン、香港の一流ホテル並みの大理石をふんだんに使った豪華な部屋で、中国茶はもちろん、フルーツをかわいい少女の服務員が運んできた。サービスに感心したというより、態度が実にすがすがしい感じがした。
きっと外国人用の高級ホテル向けに教育したものか、あるいは容貌や様子のいい少女を上層が選択してここに配置したのだろう。
私はこの少女に悪意があるわけではない。それどころか、素直で無垢なその幼さを貴いものだと思っている。ただ、このようなところにも、人間を人間として考えていないというような、上からの選択、一方的な労働の分配が、確かに現れているに違いないのだと考えていたのである。明らかに女性を外見的な美醜で特別に引き立て配置していることは、この後にも感じたが、私にはそのようなことはやはり許せないことのように思われた。資本主義でも人間は商品でしかないが、ここは少なくともマルクス主義を標榜している国なのである。
「先富起来」、

小平、胡耀邦、趙紫陽の改革派が中央を掌握した頃からいわれだしたこの言葉は、都市における経済開放政策のモデルである上海をイメージするのかも知れない。もちろん、日本人の日本における金銭感覚からすれば、この超一流ホテルは特別に高いものとは思われないかも知れない。しかし、この国の普通の労働者で月々の収入が100元だとか200元だとか聞いている身には、心中穏やかならぬものを感じていたのも事実である。
本当に後を追うものにも富が訪れるのだろうか。
ただ、このホテル、日本にダイレクトコールができたので、これに関しては安心した(翌日、別のホテルに移ったが、そこでもダイレクトに国際通話ができた)。つまり、盗聴に関しては、上海の場合はそれほど苛酷ではないのかも知れないということだ。
それにしても、人の気配のないホテル。敷地内のレストランやショップ等は早くから店仕舞いしているし、とにかく照明もあちこちで落とし、実に暗い。
着いた早々であるが、とにかく街に出て、人々の顔を見たいと考えていた。