【登録 2011/12/23】  
紙田彰[ 散文 ]


〈自由とは何か〉
自由とは何か[006]

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 灰色の夕暮れの第二景。ふるえる心臓。このとき、つきぬけるような戦慄を、私はたしかに感じていた。だが、それは実現不能な範疇にある行為なのである。自らを放棄することで生起する衝動、自らを拒否することによってのみ可能な敵意、自らを犠牲的につらぬくつらなり全体の無化への企み、それはあまりにも無意味な行為の突出であるからだ。それゆえ、すでに行為ではなく、切り離された行為の断片なのである。
 しかし、その衝動の素片こそ、突出する暴力、暴力の突出とでも名づけうるものである。私は彼が、彼の皮膜を破裂させることで、私と私を通した連鎖の階梯すべてを自らの内部に閉じ込め、閉じ込めた内部の樹木として、自らとともに無化させようとするその無意味な意志を感じていたのである。

 宇宙にも皮膜はあるのだろうか。宇宙は何もないところから、つまり何もないところの高エネルギー状態から生成されたに違いない。なぜなら、そこから百三十七億年分の膨張エネルギーを奪ったのだから、それに引き合う分のエネルギーが何もないところの内部に凝縮していたということになる。そして、宇宙誕生のとき、何もないところにはエネルギー状態における境界があったのかどうか。もし皮膜があるとすれば、それはその境界の状態ということになる。そして、膨張しても、その境界が広がるだけで、やはり宇宙は境界の内部にとどまっているのでないか。つまり、永遠に宇宙は皮膜の中にある。皮膜の中にある宇宙モデル。外から見れば、やはり何もないところなのだ。

 世界は外についても、内についても、何も知ることはできない。世界は時間と空間の幾何学だから、時間の階層についても同じである。過去の時間も未来の時間もほんとうのことは知ることはできないし、現在についても同じかもしれない。生きているというのに、存在しているというのに、何も知ることのできないこの不条理。物理的宇宙は知性において、私を抑圧するものなのだ。そう考えたとき、暴力的な衝動が高まってくるのを私は感じていた。

 だが、世界が円環を結び、宇宙が閉じているかぎり、反世界も反宇宙も、ただ世界と宇宙に包囲されている人形にすぎない。はたしてそうなのか?
 私自身、世界によって抑圧されていることは間違いないし、同時に彼を抑圧していることもまぎれもない事実である。だが、だからといって抑圧を正当化することが可能なのか。あるいは可能だとして、何をもって可能であるといいうるのか。
 おそらくここに過誤の種子がひそんでいるのかもしれない。また、そのことがあがきを現前させている。二つに引き裂かれる意識、引き裂かれることによって増殖する意識、あがきがいたるところにあふれ返る。〈われわれ〉に自由はあるのか。

 私は救われることはない。彼もまた救われることはありえない。だが、何から救われるというのか、何が救うというのか。あるいは、私は彼を救うことが可能かもしれない。――私を救うということを犠牲にして。いいかえれば、彼を犠牲にすることで私が救われるということになるのかどうか。また、彼が自らを救うことが可能だとして、それはそのようなことと同一のことなのかどうか。だが、自己救済は自らの内部によってすべてを包囲することで可能となるはずなので、この場合、そのようなことはまた別の問題であるのかもしれない。
 だが、この救いがたさはどこからやってくるのか。そのことも大きな問題であるといえる。私と彼は、すでに分ちがたく、その問題とも結びついているからだ。

 ――おれがおまえとの関係の形を変えること、また関係そのものをも消滅させることができないと断定するべきではない。おれが囚われているというのは、おまえの側からの見方で、おれはおまえとは完全に無関係であるともいいうる。また、視点を変えれば、おまえがおれに属しているのだともいえるということは〈すでに記されている〉のだから。
 許せないもの、許さないもの、また許すということ、許さざるをえないこと、したがって許しを乞うことにあるのではなく、おれに許しを乞わせるものの存在とその強制が、あらゆる暴力的形態を剥奪していく。威嚇の形をとらない恫喝。
 おれのこの暴力の突出とは何か。あるいは暴力への期待とは何か。それは理性的であるか、非理性的であるかにかかわらず、普遍的な暴力、裸の暴力とでもいいうるものだ。もちろん抑圧する側の暴力もそこには含まれるし、抵抗する側の暴力もそこには含まれる。磁力が臨界に達したときも、また磁場を失うときも――暴力の突出は期待される。

 彼は、私がすでに失いかけている暴力の意志を呼びさまし、私の抱いている暴力への期待を費消させようと企んでいるに違いない。私もまた彼と同じ場所で踏み迷っているのであるから。

全面加筆訂正(2011.12.23)


[作成時期]  2011/12/23

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(C) Akira Kamita