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詩集「空中の書」 |
エリニュスの裔眷属の声 幽霊を見ていた。 肉体と魂の分離の術を試みていたとき。 病人用の質素な寝台の白い敷布の上で、細い肉体を人形のように静かに伸ばし、心臓の上で指を組む。半覚半睡の状態をめざし、夢を見るようなつもりで、ただ意志だけを鞏固にしている。やがて肉体の感覚が失われてゆく。いまだ、少年は考える。 いま、体を脱け出ることができる、と。 幽霊が訪うたのはこのときだった。 実験室のドアが、鍵のかかっているにもかかわらず、音もなく開き、すでにドアの前に、白っぽい、やや薄汚れた長い布を纏った男が眼を爛々と光らせ、漂うごとくに佇んでいた。 俺の胤、俺の分身、一族の者よ、幽霊は語った。いや、語ったわけではない。そのような思念を、心と心を結ぶ対話の術で、少年に言葉を告げたのである。 俺は十年前に悪逆無道の罪人として、死を与えられた。爾来、悪逆の念としてこの世を呪い続けていた。俺は特別な悪人だ。だが、どうしようもない血を持った男だ。おまえの母親は自ら進んで、この俺に抱かれたのだ。 少年は忌わしい緊張感などというものに囚われぬ自分に驚愕していた。幽霊の語る言葉がよく呑み込めぬままに、ぼんやりと寛いでいた。なつかしい匂いを嗅ぐような気もした。 覚悟の一服 海辺に着いたときには、すでに夕陽も翳り、雲気が水平線の向うから頭上の空にまで押し寄せてきていた。 灰色の砂浜がいっそう濃い翳りと海からの湿った風を受け、黒々とした影に変じてゆく。 少年の担いできた新品のテントは、夕闇の中に眩しいくらい明るい黄色だった。 老人は何も言わずに荷を解くと、砂の上にばらばらに投げ出したまま煙草に火を点けた。ひとくち、重そうな息をついて、その煙草を少年の目の前に差し出した。 溺死に似せて 水の冷たさと殺意の衝動がぴったりと重なってくる。針のような鋭さだと少年は考える。華奢な腕のどこにそんな力が潜められているのかという常套句。老人の光を失った瞳の奥に、運命の受容とかに似た優しさのような表情が掠める。それだけだ。ものの数分間の暗闇。赤黒い月は沖合にかかったまま、その数分間を凝視している。観客はその月を通して光景を楽しんでいるのであろう。充血した眼と白蝋のような顔。水の色にも似た死の訪れ。 |
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