存在の基層から発する自由への衝動
画家は平面を多層的に解体しようと試みる。ニードル、ナイフ、サンドペーパー、布などで切り刻み、擦り、研磨する。さらに絵具を重ねて、それを繰り返す。二月にわたるこの肉体的行為に没入し、内部世界の解放衝動に身を任せる。――宇宙的領域へ拡がろうとして。
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oil on canvas, F100, 1303 ×1620mm |
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(自由とは何かの考察)
私は私に属しているものを知ることはできない。また、私が属しているとされるものが私を知ることはできない。さらに、私が私を属しているとするものを推測することができるが、本当は知ることはできない。
私がこれらを知ることができるとすれば、それはファシズムということであり、私自身の自由からも、あらゆる存在の自由という問題からも遠く隔てられてしまうということである。
――「自由とは何か」冒頭のための草稿
存在とはノード(節点)である。
また、自由である存在とは、属するものを支配することはなく、属することを拒否することであり、つまるところ、すべてを認めながら、すべてを否定するということであり、存在そのものが自由な存在であるという絶体存在を直観することである。
なぜ、属するものを知ることができないかというと、属するものの表面というものの認知は、属するものの構造の連鎖を閉ざして私に開示するからであり、私は私の肉体と意識、精神につながる機能の表層を属するものから得ているに過ぎないからである。
属するものの表層の機能とは、属するものの側からは私が属するものに認知されている私の表層(下部から見た裏内部の)を機能として、つまり属するものの側の構造を結果させる機能として、それを得ているのである。
この構造は、私を属するものの場合にもあてはまる。
そして、構造の上位と下位の関係は本来的なヒエラルヒーをもつものではなく、認知あるいは推察する側の構造から主体的に取り決められる。また、そのベクトルも同じように主体のあり方で取り決められる。
つまり、hybridな構造、方向と拡がり、多軸の階層が交錯しているわけである。
2004.01.18
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oil on canvas, F50 x 2, 1820×1167mm |
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作品「Hybrid construction」のそれぞれの宇宙軸に附するべき注釈
T1: Omnipresent time 左下、紺色の、遍在する時間
T2: Stagnated time 右中、青い、とどこおる時間
T3: Curved time 左上、黄色のかかった、彎曲する時間
S1: Increased space 右下、ピンクの、増殖する空間
S2: Reverse space 右上、オレンジの、反転する空間
S3: Plural space 左中、金色と赤の、多元的な空間
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oil on canvas, F30, 910×727mm |
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[super-string] series
oil on canvas, F8, F3 |
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(自由とは何かの考察)
肉も自ら独立した構造体であるので、意識と身体を持ち、独立した思考と、自己実現をする。手は手の実現を、足は足の実現を、だ。
そもそも、細胞もDNAも、さらにアトミックな存在も、すべてその意識と身体を持ち、自己実現をする存在のノードである。
人間存在というノードは、これらを構造の内に入れているが、これらを機能として取り込んでいるが、支配しているわけではない。
2004.01.18
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oil on canvas, S4, F8, F3 |
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acrylic on canvas, F8, S4, F3 |
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oil on canvas, F3, M4, F8 |
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