ぶらり宿六ひとり旅 006



11月24日(つづき)


【東京】
 Mさん(T出版社、編集者)から電話で、フロッピー原稿があるのだが、いつものようにこちらで処理してレーザープリント出力を23日までにできないだろうか、との問い合わせなのです。フロッピーは9日頃用意できるのだそうですが、23日までしかMさんがいないので、それまでに著者校をすませたいと言うのです。著者は例のJ氏でシナリオの単行本だそうです。
 かなり難しい状況ですが、フロッピー処理をしないで、プリントアウトしたものを9日に大日本印刷に入れ、改めて入力して、初校ゲラとして出してもらった方がいいでしょうかとも聞いてきています。その場合はもちろん、フロッピーは無駄になってしまいますよね(フロッピーに直接編集作業を施して、データ変換をして大日本印刷に渡すという仕事もやっているのです)。
 私にできればいいのでしょうが、やはりちょっと無理でしょうね。
 というわけで、とりあえず、いちばん早くてどれぐらいでできるかをお知らせください。それと、フロッピーは予定のもう1本がなくなったのでこれ1本だそうです。
 眞弓


【ロンドン】
mail 7014:unp063 su 9:30 morning mail

 ごめん、ごめん、心配かけちゃって。
 こちらはそんなに大変なことはないのです。
 どこも安全だし、もう、ずっとここに暮らしているような気がするくらいです。
 安心してください。
 いろいろ書いたのは、考察というやつで、日常的なこととは次元を異にする、いわば詩人としての思考なのです。
 君に宛てることによって、具体的に書くという仕事ができるわけです。
 だから、読物でも読むような気でいてください。

 車の件はしかたないでしょう。馬鹿がいるものですね。
 気にすることはないですよ。

 それと、調べてほしいのですが、たしかそちらに残したガイドブックの中に、ロンドンにある床屋で、日本人経営のリストがあったと思うのですが、見てくれませんか。
 持ってきたつもりで忘れたようです。
 なければ、向こう任せで適当にやってもらいますがね。

 とりあえず、朝の通信でした。

 仕事の件に関して
 フロッピーを君が変換してこちらに通信で送ることが本当は研究したいところなのですが、これはまだできません。
 僕がいない以上、やはり向こうでプリントアウトしたものを原稿整理して大日本印刷に渡すということになるでしょうね。
 しかし、シナリオだと、スタイルを決めるのが難しい。
 前にやったことがありますが、その通りでなくてもだいたい参考にしてやってみてください。
 前通りにと決めすぎるとかえって君の方が混乱したり、後で困ってしまいます。
 だから、配役、と書き、台詞のフォーマットだけ整理して決めるといいと思います。
 まあ、1週間くらいかけて、ゆっくり整理して、大日本に必ず至急に進行するようにと担当者に要請させて、そうですね、入力に2週間、初校ゲラが出るのが3週間後と見ておけばいいでしょう。
 つまり、9日からスタートして、プラス21日、30日ですね。
 大日本が1週間で出せれば、23日、それでも著者校を済ませる時間がありませんね。
 おそらく原稿整理でかなりフォーマットの問題をしっかりしなければ後が大変なので、この日数を縮めることはよくありません。
 もともと、Y君(T出版社、編集者)との話では、年明けで進行することになっているのですがね。
 だから、彼女(M女史)にも、年内にそこまでは無理だと僕が言っていると伝えてください。
 しかし、レイアウト的に少し複雑になるので、フロッピーで入れるのは無理かも知れません。
 どちらにしても、プリントアウトしたもので早めに進行してください。

 とりいそぎ、ここまで。
 今日は大英博物館に行ってきました。その話は後で。


【ロンドン】
mail 7014:unp063 su BRITISH MUSEUM

 いま少し酔っています。といっても大して呑んでいるわけではなく、食事の最後にジンを呑んで、その帰り、このあたりに何年も暮らしているような感覚が強烈になり、世界中どこにいても同じだという考えが心を満たして安らかな感じだったのですが、部屋に入ってみると突然、息苦しさを覚え始めたのでした。前に、香港でもやはり何日目かにこんなことがありましたが、これでは駄目だと、窓を開け、いろいろ始め、スコッチを呑みだしたのです。
 結局この文章を書きはじめて気持ちが落ち着いてきました。こんなこと、君だけにいうので、内緒だぜ。プリントするときは、ここは入れないでください。

 さて、今日は、実は昨日足の裏に水ぶくれができて、少し休もうと思っていたのですが、結局昼飯に出かけてそのまま街に行ってしまいました。
 朝は、ゆっくり寝たいので朝飯をパスしましたがね。
 ここはセーフティボックスがないので、キャッシュは例のおばさんの金庫にしまってあるのです。セーターでも買おうと思って200ポンド引き出そうとしたときに、おばさんに朝はどうしたのといわれ、寝ていたといってまた残りを預けました。預り証も何もあったものではないけれど、これはただただ信用するしかないでしょう。イギリスだからできるのかも知れません。だから、いま、おばさんの金庫には800ポンド預けています。
 手元に300ポンドあるので、まだ170ポンド(36000円)しか使っていません。
 で、セーターもまだ買っておりません、はい。
 それで、朝飯兼昼飯は、近くに市が立っていて、その側のデリカテッセンにうまそうなパイがあったのでそれを買いました。ヴィール・パイといって、veal(これ、子牛の肉)と野菜がぶつぎりのままパイで包んであり、チキンとかいろいろある中で、真っ赤なピーマンやトマトなんかの色が毒々しくて、これだなという感じで選びました。
 おばさんがレンジで温めてくれ、紙の皿にいれたそれを紙袋で包みながら、プラスチックのフォークでつつきながら歩いて食べる。しかし、みんなこうして食べているのです。
 うまかった。この類のものはなかなか食べらません。ホームメイドと書いてあったのですから、おばさんが作っているわけです。
 それで、また楽しくなって、大英博物館に行くことにしたわけです。
 しかし、途中で後悔し始めました。足が痛いし、かばうためか両足が重いのです。
 これにはまいったのです。弱音は吐きたくないが、辛かった。
 といいながら、歩いたのは結局午後遅くまで、それもとんでもないところまで歩いてしまった。ばかだねえ。
 エジプトのコーナーだけにしようとは決めていたので、そうしたのですが、とんでもない。膨大なのです。まったく、エジプトのコーナーだけでも、じっくり見たら一日では無理でしょう。凄いですよ。
 ミイラも見ました。乾燥した砂漠によって作られた一体が、完全に裸のままあらゆるものがさらけ出されておりました。また、一体がというより、白骨化したものがこれもまたさらけだされておりました。もちろん、王族の数十のミイラが布に覆われたまま、あるいは棺の中に納められたままあるわけです。
 子供たちが騒ぎながら写生している。しかし、そこは遺物安置室であるわけで、展覧に供するというのは、例えば自分のことを考えるとわかりますが、いかがなものでしょう。それも全部さらけだされて。
 確かに、この収集は凄いものです。しかし、この場所にあっていいのかどうかということを、僕は考えます。もちろん、王族の運命などというのはそんなものですよ。しかし、ミイラのあのすさまじい姿を見るとね。
 僕が本当に凄いと思ったのは、そうした、王族の末路や、その死体や、痕跡を集めたということではなく、またそれぞれの王の偉大さなどといったものではなく、あらゆる収集物が、第一級の作品であり、また素晴らしく大規模な作品を作りえた多くの人間のその強烈な力に対してなのです。巨大なものから、繊細なもの、長大なもの、なおかつ現代的な感覚、これは異質の、つまりこの間書いた、現代世界のものにつながらない別の世界のものであるのです。
 これは別のものです。神が違うとか、文化が違うとか、そんなこととはまるきり異なる違い方があるようです。
 どうしてかというと、現代美術なり建築なりと重ね合わせてみると、その到達点が非常に似通っているからです。つながるものなら、そんなことはありえません。別のものだから、ピークという点で一致するものがありうるのです。脱構築とは意味を拒否することです。エジプトの大規模建築は、常にシンボライズされた神の登場によって、日常の意味はことごとく剥奪されます。すでに、神が王制の絶対的なシンボルになったときには神すらもすでに意味を失っていくわけです。
 エジプトのあらゆる作品が、神の国のものであるというのはどうも違うように思います。文字にしても、意味も場所もわきまえないようなところにも出現している。ピラミッドは信仰と王権だけではできないと思うのです。
 ピラミッドに限らず、あれだけの作品群を、砂の中から発見される程度の偶然ですら提出しえたという凄さ、これをいうのです。
 たしかに、大英博物館の2階にあるミイラ群の陳列室のガラスケースに納まって、体を屈曲させて、金色がかった短い頭髪、からからに乾いて萎びきったペニス、肛門まで見える尻、意外に大きい胸郭、それらががちがちに固まった皮膚と共にわれわれの前に無惨な体をさらけだしている。
 この男はどのような地位にあったかは分かりませんが、ここにあるミイラのほとんどが王であり、神ですらあったものなのです。
 このミイラたちが哀れだというより、どうして歴史などという浅薄なもののために、一堂に集められなければならないのでしょう。感傷などということではなく、僕は、こんな博物館という考え方は間違っていると思う。
 特に、この博物館の場合、イギリスが世界の支配者であった当時の力を示すものであります。
 死体には何もないのですが、しかし、死体には冒さざるべきものがある。それは土と水です。ものは土と水によって、死者からよみがえる。脅かすわけではないのですが、これは自然の物質流転の話です。これをとどめおくというのは肉体という物質契約に反している。
 その思想がある限り、国家というものは衰滅していく運命にあるといえるのです。
 肉体の再生を願う近代宗教理念も同じです。キリストは復活することによって、この世に衰弱をもたらしたわけです。
 では、エジプトの神々はどうか。彼らも復活を約して、陳列ケースの中に屍をさらけ出させられたのです。これは、エジプトの神々がキリスト信仰のガラスケースに閉じ込められたということを示します。
 そして、このガラスケースを内蔵する大英博物館を国家の威信として誇る大英帝国は、確実な衰弱の道を歩むわけです。
 われわれの東洋に復活という観念はなかったことは明白ですが、では輪廻とはなんなのでしょうか。
 これは、復活が肉体を自体示しているということと対峙させると、肉体はなくなる、つまりある種の滋養、肥やしといったもので考えている節がある。しかし、これとても、自然とか宇宙とか、結局はものの窮まるところでしか捉えていない。
 えーと、まあ、今日はこのへんで。
 かなり興奮しましたよ。また行くつもりです。ところでこれが無料なのですよ。
 といっても、さっき僕が展開した話からは無料なのが当然か。
 設備から何から確かに凄いものでした。

 この後、この周りで市がところどころに開かれていたので、早く帰ろうと思いながらもついつい寄り道して、足の様子が悪くなってしまいました。破れればいいのだろうが、どうなのだろう。

 疲れてきたので、この原稿はここまで。
 ひと休みして元気が出れば、今度は子供たち用の原稿を書こうかな。

 ここは、トイレが2階にあるから面倒だ。ここは4階だけど、実際は5階です。
 狭い階段を上がるとそれだけで足が重くなります。
 冷蔵庫のビールを呑みましょっと。冷蔵庫は窓を開けたところにあります。ははは。
 部屋を替えてもらおうかな。テレビのある部屋もあるようだ。この部屋がとにかくひどいみたい。貧乏学生にみられたに違いないんだ。考えてみたら、VISAカードを使うといったとき、驚いていたな。
 シャワーからはお湯も水もぱらぱらとしか出ないし、その下のパッドの穴からは隣の洗面パッドから水を流すと、つまっているせいで、ぶくぶく何かが上がってくるし、でも、意外と気にならないのは、なぜだろう。
 やはり、気持ちも貧乏学生なんだよ、きっと。

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