ぶらり宿六ひとり旅 010



11月27日(つづき)

【ロンドン】
mail 7014:unp063 su pm6:30 27 london

 さて、先に送ったメールの時に呑んだビールがほんのり効いています。

 今日はこちらは日曜日で、食べ物などに困るかなと思っていましたが、やはりいささか困りました。サンドイッチなどは少し買っておいたのですがね。日曜は結構休んでいるんですよ、デパートなんかでも。

 今日は日が出ていい天気なので、散歩を主体にと考えて、午前11時にここを出て、ビクトリア駅まで歩き、そこから右折して、バッキンガム宮殿の方に回りました。
 観光客が結構いました。日本人もね。だいたい王室関係は嫌いなので、ざっと見てから、セント・ジェームズ・パークのグースや白鳥、リスなどをぼんやり眺め、日光浴しながらチャーリング・クロス駅まで歩きました。
 途中ににあるホース・ガードの門をくぐると騎馬兵がおりました。
 まだ若い子が馬の上で動きもならず、なんだか哀れでした。

 実は、今日の目的は、Tower of Londonなのです。
 日曜日は2時から中に入れるとガイドブックに書いてあったので、それまでに、近くのDicken's innというローストビーフで有名なレストランが日曜の12時から3時までセットメニューを出すということなので、そこで食事をしてから、ロンドン塔の処刑関係の遺跡や拷問関係の道具を見ようと思ったのです。人間の想像力がどれほど残酷な場面でかきたてられるものか、とても興味があったわけです。
 概して、ヨーロッパのサディズムと権力との関係は尋常でないものを感じます。
 それは、ヨーロッパ人の特に南方系と北方系の違いや、知的な場面での残虐性、あるいは動物的な旺盛ともいえる残虐性、ギリシア神話から、キリスト教、ヒトラーまで通じるものです。
 これらはサディスムというものが、本質的にはおそらく純ヨーロッパ的なものであることを物語っていると思います。
 これは、後で触れる信仰と権力という問題にも関わります。

 レストランは、これもご想像どおり混んでいて、断られました。しかし、やはりロンドン塔見物の客を相手にしているようで、おそらく大したことがないのではないか、という気がしないでもないので、あまり執着しないですぐやめにしました。上の3階にあるシーフードのほうは空いているといわれましたが、ここにはローストビーフを食べに来たのです。
 このレストランのあたりは、ヨットハーバーになっていて、ヨットクラブや高級品を陳列したさまざまのハイクラスな店が並んでいました。何か買おうかとも思いましたが、このところ貧乏性になっている関係上、ちょっと手が出かねました。
 ここから、金持ちどもはthe Thames riverに出て、海へ乗り出すのですね。
 しかし、この金持ちとか貧乏とかは、なんの配剤なのでしょうね。僕はこういうのは本当にむかむかするのです。一皮むけば、ただのサディストたちではないか。

 それで、スナックでまたキドニーパイを買い、コーヒーと、安いもので1ポンドちょっとで済ませました。
 しかし、肝心のロンドン塔は、入口の方に回って初めて分かったのですが(というのは、先にレストランを捜すために、テイムズにかかる2階建ての橋、タワー・ブリッジの方にぐるりと回り、つまり反対側の方から入ったのです)、4月の第1週の日曜まで、日曜はお休みというわけです。ガイドブックのニャロメめ。
 で、しようことなく、次に機会を譲ることにして、日曜のシティ、官公庁街を歩きました。さすがに人けがない、静かな街でした。
 さて、ロンドン・ブリッジを往復しましたよ。ロンドン・ブリッジの歌を歌いながら。ばかばかしい。往復することがばかばかしいのか、歌を歌うことがばかばかしいのか。
 また、人の少ない眠った明るい街をしばらく歩きました。
 セント・ポールの堂々とした教会、大きな鐘が不思議な音楽を奏でるのにつられて、堂宇に入ってみました。観光客とミサに集まった人でにぎわっていました。牧師か何かが、観光とミサの人をより分けていました。ここは1700年当時、ヨーロッパで第三の教会建築といわれていたらしい。
 石造の建物の柱というのは、どこを見ても立派ですね。それに、オレンジの照明はよくマッチする。
 ここで、思い出したのですが、ヒースロー空港に降り立ったとき、ロンドンの明かりがすべてオレンジに統一されて見事な夜景を展開したのでしたが、あれは高速道路をはじめとした街路灯が、おそらく都市計画上、周到に配置されたのでしょうけれど、この色彩感覚にはこの巨大石造建築とオレンジ色の炎との関係があるのではないでしょうか。
 金も、ステンドグラスも、司祭の表情も、この揺らめくような色合いで確かに引き立ち、深みを増すわけです。
 しかし僕は、こうした巨大建築が、なぜ信仰の世界に必要なのかといつも思います。
 これは、信仰と権力の婚姻を示すものであります。信仰は信仰の強さというよりも、信仰の規模で測られるわけです。そうしたときに権力というものと与しないではおられないわけです。
 だから、どのような信仰も駄目なのです。どれだけの奇跡や力や、正しさを現しても、それをシンボライズしてモニュメントを作ったり、現実的な形のみ追い求めたり、そのようなものは必ず権力と結びつくことによって、信仰といったものからどれほど離れていくことか。
 奇跡が今の時期、至るところで現れているのはそれほど認め難いことではない。それが現実的な事実として現れることは不必要ではないとしても、しかし、そこからそれらをただ現実主義的なものでしかないものにまとめあげ、結局小さな内部国家を作るなどというのも笑止である。
 奇跡とは、本当は誰からも認められない、つまりなにものにも結びつかないという永遠性と力を持つものなのであるからだ。
 僕は、この教会の中にいて、とても侘しい気持ちに駆られたのです。
 信仰はよしとしよう。しかし、この巨大で、豪華で、あらゆるものを威圧し、占領してしまう、このそもそもの力とは何か。ここにある力は、自己以外を強烈に排外するすさまじい硬直性と、それを支える金と、国家の権力である。
 こんなものに囚われる人間が、僕にはとても寂しいものと思えるのだ。

 神が死んだから、宗教が駄目なのではない。あらゆる宗教が剣を持っているから駄目なのだ。剣の前にも後にも自由はない。

 僕たちが考える自由というのは、おそらく西欧的な自由ではない。
 このことは、たとえばルネッサンス期のイタリア絵画にみられるように、西欧的自由の基礎とは非常に動物的なものだからだ。だから、その反対極に知性とか、神性、白痴性を仮託してもそれらは毛におおわれている、血の生臭い匂いがする、骨の脂がてかてか光っている。
 だから、彼らの本質のあらゆる場面はサディズムなのだ。
 僕はこのことに気づいたようだ。
 僕たちの自由とは、おそらく、なにものかであることからの逸脱というものではないか。これは、なにものでもないということからの逸脱でもある。
 つまり、あることとないことという問題の立て方から自由であるということだ。

 ところで、僕はこうして、仕事をしているのではないかと、ふと考える。
 何か大事なものが見えてくるような気もしている。
 この手紙形式のものは何か大きな意味を持ってくるのかも知れない。

 いかがでしょうか。
 今回はここまで。


【ロンドン】
mail 7014:unp063 su 10:00pm 27 london

 ちょっと思いついて。
 近所のパブをはしごして帰ってきました。
 でも、イギリスでは酔いませんね。
 ところで、葉書を今日、書きました。
 お互いの兄弟くらいまでです。
 書くのは大変ですよ。

 さて、例の****の解説の柱のことですが、やはり、内容から、見出しをそのまま持ってきた方がいいかな。
 つまり、解説でいいといったのを訂正します。やはり、見出しを使ってください。
 あれは、解説なんてものじゃないよね。

 まだ二日酔いになったことがないとーさんです
 でも、なぜだろう。
 気候のせいかな。
 緊張感などというのとは違うみたいだけれど。


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