緑字斎一家、アメリカ大陸横断記 01 |
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7月21日 シンガポール航空CQ12便。日本人ばかりの飛行機で、ロスアンジェルスへ。 この飛行機、実にサービスがいい。かなり、上からうるさく教育されているのだろう。目が合えば、必ず美人のスチュワーデスが、魅力いっぱいに微笑むし、マナーなんか知らない日本人があれこれいうのを実によく、忍耐強く、嫌な顔ひとつせず、丁寧に相手をする。これはすごいことだ。 機内食だって、立派なものだった。 到着はローカルタイムで午後2時、イミグレーションは日本人がいっぱいで結構待たされたという話は述べる必要もないこと。 ロスアンジェルス空港からタクシーで、ハリウッドの、チケットを依頼した代理店を通して予約したホテルに向かう。しかし、クーポンのアドレスが間違っていたためたどり着けない。似たような名前がわんさかあるのだ。電話だって、時間によってはスリープということもある。ここで、その代理店の名前を大声で叫んで非難してやりたい心境にもなっている。 ようやく捜し当てると、こんどは、そこに予約は入っておらず、同系列の別のホテルであるという。何をやっているんだ。格安チケットを購入したところなので、アメリカとの連絡が緻密でないということなのか。これは、会社が小規模なせいなのだと思っていたが、あにはからんや、レンタカーでも同じことが起こる。 あのハーツにして、契約の時間に行くと、車は来ていない、指定の車は手配もされていない。ニューヨークまで行くワンウェイだということも通じていない。 つまり、大手の会社でも、日本との連絡は、コンピューターを使っていてもおよそ当てにはならないということを知るべし。 もっとも車はこの翌日のことで、顛末は別に述べる。 しかし、ロスアンジェルスはなんといっても暑い。 フランクリンDr.の小さなホテル、フランクリン・プラザ・スウィートの部屋はスウィートを取ってあったのだが、ベッドルーム2、キッチン付き、リビング、少し古いのと安普請を除けば、この値段からは上々。160ドル。しかし、我々としては、この旅行、もっと安くあげるつもりでいる。 ここに落ち着いたのは4時、ジェットラグがあるはずなのに、子供たちは頑張っている。これから外出しなければならないのだが、協力してくれるという。9歳と6歳。 ホテル捜しで時間を喰ったので、シャワーを浴びることもせず、トリプルA(AAA、Automobile club)に向かう。オフィスは5時に閉まるのでタクシーで。ここで、ドライブの資料を入手しようというわけなのだが、疲れているし、その辺の書店で買えば済むんじゃないかという気もしないわけじゃないのだが、勇を鼓して出撃。マイワイフの積極性に従ったということもある。 クローズぎりぎりに到着。ここはJAFと提携していて、いろいろのサービスが無料だということは知っていたが、ここまでのことをやってくれるとは、正直、まるで思ってもいなかった。 アメリカ横断するというと、AAAのメンバーはびっくりし、そしてあらんかぎりの絶賛をしてくれ、さっそく相談に乗ってくれた。しかし、当方は、アメリカ横断がそれほど驚きに値するようなものとは思ってもいないし、それどころか、アメリカ人なら一度はやっていそうなものくらいに考えていたので、逆に戸惑ってしまった。 これは、空港から、さらにホテルからなど、今日これまで乗ったタクシードライバーたちの反応に関しても感じたことだ。ドライバーは一様に驚き、そして実に嬉しそうに、我々にあれこれ親切にしてくれたのだった。 係の女性と、アメリカ旅行のことならお任せのプロフェッショナル氏がUSA全土の地図を広げ、こちらの希望を聞きながら、さまざまのアドバイス、大体の一致点を地図にマーカーで書き込む。そして、それをもとに関係の区分地図を持ってきて、区分地図にそれぞれのコースをまたマーカーで記入、そして各州ごとのAAA独自で制作した細かで正確ななガイドブックを何冊も持ってきてくれる。それから、例のTriptik。これはさまざまの情報を盛り込んだ道路マップをナビゲーション用に、運転しながらすぐ使えるように作成したカードを、コースに従って綴じてくれたもの。これはほんとによくできている。とても感激、感謝した次第。 彼らは、なんと、勤務終了後30分も我々のために居残ってくれたのだった。これには大感激、頭の下がる思いだった。 JAFには年会費6000円払っているが、AAAには何にも払っていない。それなのに、この親切。そればかりか、必要な情報を満載して、デイパックいっぱいにしてくれたのだ。何という国だ、このアメリカは。 このハリウッド事務所のAAAメンバーに大感謝します。 以下、日本で考えていたものと、ここでスケジュールを組んだものを並べる。 このときのアドバイスの中には、Compu−ServeのTravel forumで小生に寄せられた意見もあった。 最初の計画 23 start L.A. Grand Canyon - Denver - Kansas City - St.Louis - Indeanapolis - Toled - Niagara falls - 10 Aug. arrive at N.W. ここで計画したもの L.A.-Grand Canyon - Mesa Verge Nat'l Park - Denver - Rapid City - Chicago - Detoroit - Toronto-Montreal - (or Toledo - Niagara Falls -)N.W. この後、近くのイタリアンレストランでようやく食事をすることができた。そして、このレストランの従業員たちもとてもフレンドリーだった。我々家族の恰好が、ランニングの上に韓国製のアウトドア用ベストを着て、まるでアフリカにでも行きそうな恰好であることと、その店のある場所が観光客などの来そうではないところだというせいもあるのか、そのあたりのことで面白がってくれたのだろう。 目立つのは気になるところだが、それがおそらくアメリカ的な自由な感覚なので、彼らにも受け入れられたのかも知れない。 子供連れなので、夜遊びは今回はせずに、もっとも疲れていたし、コンピューターの通信実験のことが頭にあったので、暗くなる前に、といっても8時、サマータイムのせいでここいらは遅くまで明るい、部屋に落ち着くことができた(英語の新聞は、よくこういう書き方をしますね)。 子供たちを寝せて、パソコン通信をしようとするが、さてなかなかつながらない。 こんなことはいままでなかったことなのだが。うーむ。 TYMNETはなんとかつながり、MIX、NIFTYにアクセスすることはできたが、Compu−Sにはつながらない。アップ用の原稿は英文しか用意してないので、どこにもアップできないというわけで、到着の挨拶が遅れることになる。 ここの電話はピポパなのだが、モジュラージャックは外れないようになっている。初めて、蓑虫クリップの出番がきたというわけだった。 それにしても、ロスアンジェルスの夜は騒々しい。パトカーがサイレンを鳴らすは、銃声はするは。いやはやなんとも。 前頁 次頁 |