緑字斎一家、アメリカ大陸横断記 04 |
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7月24日 仮眠を取って、それでも9時過ぎにはこの砂漠の中の田舎町Needlesを出発した。目的地はグランド・キャニオン。Compu-serveのforumで、ロッジは予約を取らないと難しいというアドバイスを受けていたのだが、Compu-Serveとアクセスしてから決めようとしていたため、予約をつい遅らし、結局、アクセスがうまくいかないため、予約無しということになった。 今日もインターステイツ40を東へひた走り、途中、Williamsを越えてフリーウェイ64を左へ折れ、北上する。こう一言で書くと、味もそっけもないが、灼けつくような砂漠の中を65マイルほどのスピードで、休憩を入れて7、8時間も走ったろうか、暑さと強行軍からくる疲労があり、また突然変化するアメリカの砂漠の色、形、それらにため息ばかりが出るような、そんな強烈なインプレッションもあり、とても単純なドライビングなどとはいえない凄さがあった。 まず驚いたのは、岩盤が岩の板の重なりででき、それが層になって、てっぺんが平らで岩肌がその層を剥き出しにした丘陵が、ぼこんぼこんと、あるいは長いスロープを引いたりして、メサというのか、独特の地形が近くに迫り、遠くに連なり、それは異様な風景を現わしていた。 砂漠の砂は、そのような岩が信じられないほどの年月をかけて崩れ落ち、あるいは風化し、天に舞い上がっては空中で衝突し、微粒子になる。13億年はかかるといわれるが、このあたりの地形は20億年の歴史を持っている。 丘陵を越えると、蜿蜒と続く砂漠の風景がいつのまにか別の砂漠の風景に変わっていく。もちろん、砂漠の植物の種類が変わるのではない。その密度は場所場所によって微妙に違って来るが、主要に異なってくるのは砂漠の岩の色と形、それに岩盤の色と岩山の形である。 それらが、ひとつの丘を越えると、時には突然その表情を変えるのだ。 この広大な土地における道路計画は、常に合理的なラインを砂漠に引いていくことにあったのだろう。それは実に何十マイルも続く直線道路として完成する。しかし、それはこの土地を未だ完全に制圧したというわけにはいかない。ここにあるのは、砂漠に埋められないようにとの願いを込めた弱々しい糸だ。 だが、その糸の道をアメリカ人のとんでもないエネルギーが走り回る。今度の旅も、地球に対する人間の唯一の武器であるエネルギーを感じたかったということがあるのかも知れない。 もちろん、このエネルギーとは物質的なことを指すのではない。人間が存在するところの命の流れのようなものをイメージしているのだ。 そして、その熱気にうだるような道路の先に逃げ水が現われる。この光学現象は自動車道路が地平線に切れるあたりまでつねに存在し、車がついに地平線に辿り着くことがない限り、それが消えることなどない。なんという無限の循環、目に見えるものでありながら、人間の見えるということを脅かす悪意。 グランド・キャニオンへ至るにはI−40をWilliamsを越えたあたりを北上する。そこからグランド・キャニオン・ヴィレッジの入口までの50マイルの道路も、溜息が出るくらいの直線道路だった。 ビジターセンターで直接、パーク内のロッジの部屋を取ろうとしたが、やはりどこも満室だった。Compu−Serveのメンバーの助言は、やはり聞いておけばよかった。 ここの景観は日没とサンライズの瞬間が見事だというので、とりあえず今晩の宿泊先のモーテルを確保するために、Williamsに戻ることにした。この近くの町、という感覚は日本の距離感ではかるととんでもないことになる。隣町などというのは、場合によっては何百マイルも行かなければ存在しないからなのだ。 探し当てたモーテルはパークから20マイルほどのところに忽然として現われたという感じで、当然、砂漠の道の中にあった。こんな近くで見つけられたというのは、この時期にはラッキーだといっていいと思う。しかし、AAAのマークはなく、値段の割に設備がいまひとつというものだった。TVも壊れていたけれど、電話が室内にないばかりか、このあたりにただ一箇所という公衆電話も壊れているというのは、これは困った。通信が不可能というばかりか、電話で予約をすぐ入れたかったことがあったので、万事休す。 しかし、まあ、旅というものは流れに任せると味が出るものなのだから、ぼやくことはやめよう。 このあたりの日の入りは8時くらいなので、夕方遅くにふたたびグランド・キャニオン・ヴィレッジに向かった。そして、サンセットの景色のもっとも素晴らしいといわれるDesert Pointを目指したが、すでに7時半を過ぎている。ヴィレッジの入口からは20マイルほど山道を行かなければならない。 山中の舗装道路をかなりのスピードを出して進んでいると、樹林の向こうに聳えるメサに低く垂れこめる曇り空の中を虹が現れ、靄のような不安定な雲を背景に鋭い稲光が何本も走り出した。しかし、時折降る雨はせいぜいシャワー程度で、すぐに晴れ間が広がり、太陽が顔を出す。林の切れ間に浮かぶ、グランド・キャニオンの岩壁に赤味を帯びた陽光が降り注いだ。 夕空が次第に暗さを増すが、我々はまだ目的のビューポイントに着くことができないでいた。悪いことに、ここの詳しい地図をモーテルに置いてきていたので、正確な距離が掴めない。我々は途中で諦めて、Moran Pt.で壮大な日没を見ることにした。Moranという画家がここから渓谷の絵を描いたという。 我々のいるところが頂上の台地である。そして、グランド・キャニオンは最大1.6キロの深さを持って、いわば凄じい亀裂として我々の足下に広がるのだ。 まず、硬い巌が剥き出しにされ、それが20億年分の岩の層になって重なる。コロラド川が抉りに抉って、巌をこのような複雑な形にしたのであった。 この岩、砂漠の赤い微粒子と同じ色の成分の岩の層が奇崛し、それが光に当たってさまざまの表情を現わすということになる。 その下1マイルの深さには、コロラド川の、泥を溶かした重い水流が夕陽を反射して光の帯になっている。 崖の上に立ってみると、足のすくむほどの深さが体に迫ってくる。そして、いわば深淵というものの形がこのような現実的な形を取ることによって、おそらく見てはかれる、しかし体の届かないものである、というようなアイディアが浮かんでくる。 そのうちに夕陽が雲を染め、雲の縁、巌の縁を光で隈取り、洩れ出る光が岩肌を射すと、その岩の層の色が、赤く、オレンジから不思議なほど古代のイメージのある錆びた赤い色へと微妙に変化していくのだった。 そして、太陽は山陰に光を収束させるように早い速度で埋もれていく。 我々はこの光景をただ見続けるしか、ここから生じた感動に堪えることはできない。小生は、目の奥に涌き上がろうとするものの熱さを感じていた。 ここにいる何組かのアメリカ人、中国人のどのグループからも声のひとつも出ずに、山奥の静けさだけが身に沁み入るような気がしていた。 これは、衝撃的なインプレッションである。想像力を越えたところに提示されるもの、それこそ人間を鼓舞してやまぬものなのである。 前頁 次頁 |