緑字斎一家、アメリカ大陸横断記 7月25日



 7月25日

 今日は再びF(Federal)-180を北上し、グランド・キャニオン・ナショナル・パークを通り抜け、昨日行き損ねたDesert Viewに行き、そこからSP(State & Provincial)-64、CameronからF-89NORTH、F-160を進み、Kayenta、モニュメント・ヴァレーに至る予定。
 昨夜のモーテルはもうどこでもいいからという感じて泊まったところなので、電話がついていなかった。これで、まだ日本とも、Compu-Serveとも繋がることができない。
 Desert Pt.にはインディアンの遺跡を再現したWatch Towerが断崖の際に建てられている。ここから覗く渓谷にはコロラド川が流れ、地層を複雑に晒け出したメサ(台地)という独特の景観が明るい太陽の下に広がっている。
 我々は昼食の後、山道を走り続けた。よく管理された山林を抜けると、また乾燥地帯に出る。いわば、キャニオンの底にでも降りてゆくような道筋なのだ。もちろん、グランド・キャニオンの底とは別の、東側に山を降りて行く道なのだが、地形が上から覗いたものにそっくりなのだ。平たい台地の赤い地層を薄皮のように重ねた岩肌を持つ丘陵が突然途切れながら、その底に乾燥した、また平たい原野が広がり、干涸びた川に侵蝕された跡も歴然な陥没がつながっていく。
 道路の傍のところどころにインディアンの出店があり、この干涸びてしまいそうな暑さの中で、子供たちがハンドクラフトを売っている。アメカリインディアンの最大多数を占めるナバホ族だ。
 こうした景色はKayentaまで続く。ただ、ひとつの丘陵を越えると今までと違った形の岩山が現われ、また岩の色が異なり、砂の色や、状態がそれに伴って異なってくる。もちろん、砂漠の植物の数もそれぞれ違ってくる。
 町と町の間も、およそ日本では考えられない距離がある。数十マイルの間、人が住んでいるとは思えない場所が至るところにあるのだ。
 とにかく、そうして、夕方にモニュメント・ヴァレーに到着した。本当はこの近くでモーテルをとろうと考えていたのだが、これは無理だった。とにかく、パークの側にある町というのは、グランド・キャニオンでもそうだったが、30マイルは離れた場所にあるのが常なのだ。日本でいえば、40キロは離れている。これはもう、すぐ近くなどという観念とはかけ離れている。
 モニュメント・ヴァレーをこの日のうちに見てから、モーテルを探し、翌日早くに出発して、少しでも距離を稼ぐという目論見は見事にご破算となってしまった。
 我々は急遽モニュメント・ヴァレーの観光を取りやめ、22マイル戻り、Kayentaのモーテルに宿をとった。
 さて、ここで失敗したことがある。
 今日の出発の前に、トリプルA(アメリカ自動車連盟)から貰ったTour Bookのアリゾナ編に注意事項として、インディアン居留区では自治制をとっていて、それに飲酒法があり、アルコールの販売はしていない、というのがあったのだが、小生は、居留区というのは特別な場所にしかないという勝手な思い込みから、まさか旅行者が泊まるようなところとは関係がないと思っていたのだが、あにはからんや、このあたりは広範囲にわたってアルコールは扱っていないのだった。気がついたのは、モーターホテルで、ルームサービスのメニューにアルコール類がなかったからだ。
 まさかと思いながら、近所のスーパーマーケットで、飲物や氷、食料を買い込んでいたときに、それははっきり確認された。ビールは置いていない、必要ならばユタ州のMexican Hatまで行かなければならない、と店員に言われたのだった。
 おかげで、この熱いのにビールはおろか、ワインにもありつけなかった。もっとも呑み残しのバーボンが少しあったので、息はつけたのだが。
 この夜、ようやく日経MIXとNIFTYにアクセスすることができた。

 その内容は、TYMENETを経由したもので、何度もの試行錯誤の後に、とにかく遅れていることの連絡をと、メールを送った。しかし、依然としてCompu-Serveとはつながらない。


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