ハワイ←→東京通信記録04





メモ 82793番
From: a.kamita
Date: Fri, 28 Apr 89 19:01:18 JST
To: ****
Subject: 第4弾 長くてすいません


シャワーで洗はれよ国家と肌 塩素が降る

飼ひ慣らされた魚 囚はれずといへども 肥満してをる

快適で馴染みのある夏 偽りの表通り

 緑字斎


****さんへ

 昨日は駐車違反の罰金を郵便局を通じて為替で支払いました。
 5ドルという安さは国が違うので別にして、一連の手続きというのは新鮮なものがあるので非常に面白いものです。
 まず、用語がひとまとまりで覚えられます。bail, forfeit, traffic violation bureau, money order――。
 システムといえば、封筒付きの違反切符が渡されます。その中に、違反の種類と罰金の額が記されています。そして、支払い方法が選択できます。ふつう、郵送するようです。
 軽いものは為替に換金して郵送すればよし、6日過ぎると加算額を支払わなければなりません。小生の場合、駐車区域以外でハザードランプをつけていなかったので5ドル、加算されると10ドルと書かれてありました。
 切符にアドレスと名前、免許番号(小生はよく分からなかったので、東京発行、それと国際免許番号を記入しました)を記載し、最寄りの郵便局で為替に替え、為替には支払先と支払元を記入し、先のスリップと一緒に封筒にインサートして投函するわけです。
 つまらないことのようですが、こういったことは結構その場になってみると役に立つものです。
 なぜなら、こういったことは体験の積み重ねで当人が知ればいい式で、どこにも書いていないのですし、なんといっても、小生も想定問答集など用意しながら、少しは苦労したのです。
 でも、困って覚えるというのは、気分のいいものであります。
 前の旅行記にも書きましたが、獲得感というやつです。
 はっきりいって、これがあるから旅というのは面白いのです。ま、しかし、ここは休養地です。人種差別なども婉曲なものが現れるだけで、具体的にこちらを拘束するというような形では現れない場所です。
 しかし、反日感情というのはとくに現在の国際関係の中では二重以上の意味を持っているので複雑です。
 こういったことには、たかがリゾートとはいえ、その底にあるさまざまの問題を鋭く感じてはいたいと思う次第です。
 日本における差別問題というのは、その問題の構造自体が人種間の問題とは次元の違う問題と考えているのですが、少なくとも、日本人は多民族と複数の人種で世界が構成されているという考えを感覚的に持てないでいるような気がします。
 ここで、ハワイに来る前にacsで高野某が主宰しているインサイダーの津村某のソ連に関するレポートを読んだことを思い出しました。
 そこの基本姿勢として述べられていた、ナショナリズムとインターナショナリズムという二極構造が破綻し、グローバリズムとリジョーナリズムという共時的な(注意 この話は資料が手許にないのでうろ覚えに書いているもので、共時性なる用語は小生の頭の中に残っていた過去の残骸から無理矢理ひねりだしたもので、上述のもので使っていたかはどうでしょう。小生も古い!)構造で解き明かさなければならないという主張は、結構いいセンいっているのかも知れないな、しかしそれも論理を靄の中に追い込んでしまう危惧と表裏一体だな、という感じがしました。つまり、グローバリズムは抽象化しやすい概念であるし、リジョーナリズムは非常に細分化されやすい、なんでもかんでも主義になりやすい、下手をすると政治主義的な目潰しに転落するようなことにもなりかねないのではないか、ということです。
 とはいえ、人種と民族という最も現代的な問題、つまりソ連や中国がその社会主義体制を投げ捨て、アメリカが「正義」(あ、括弧なんかつけてしまった。またまた古い!)としての自由主義とそれゆえに必然的に成長してきた人種の力というものによって急速に崩壊に向かっているということを見れば、このような視点はナショナリズムとインターナショナリズムをカレントという場所で撃つにはなかなか気持ちのよいものがあります。
 しかし、小生などが昔日、インターナショナルというときに感じていたのは、例えば類概念をイメージしていたのであり、ナショナルというときには吉本のいう原生的疎外という概念を考えていたのでありました。
 だから、上記の高野某の話は革命理論と思想・哲学の中間にあるような考え方で、小生はそれほど嫌いではないのです。
 えーと、なんだか酔いながらこんなことをタイプしているというのも、おじさんであるという前に、コンピューターと通信というとんでもない文房具を我々は手に入れたということのネットワーカーの断乎たる勝利であるゾーイ!

 ウーイ、なんだかいい加減な話に終始してしまい、ごめんなさい。
 さて、こう書いたものが、そう簡単にmixに送れないのです。
 ここは、当然ですが構内電話、割り込み電話もあり、ノイズの問題もあり、それと、ヨーロッパでもそうでしたが、都市部ではある時間帯になると回線がbusyになり、回線の不良や、仮に接続しても途中でハングアップするということが往々にしてあるのです。
 自動ログイン設定をしても、半分以下の確率でしか接続しません。
 だから、ほとんど途中から手動に切り換えています。

 本日は疲れていて、寝坊しまして、ノースショアには行きませんでした。
 ハナウマ・ベイという、猫も杓子も行く、肥った魚が釣られる心配をしないで泳いでいる海岸でシャワーに襲われながら遊んでいました。
 明日は日焼け処理のため、がんがんにクーラーをかけて肌を冷ましながら、北側の海岸にドライブする予定ですが、家族に風邪ひきが出たので、どうなることやら。
 さて、食べ物については、肉の話について女房と。
 こちらは肉類が、話すだけ無駄というほど安いのですが、その中で、これまで肉の部位についてせいぜいフィレが軟らかいだの、ロースが脂が乗っているだの、その程度にしか舌も頭も働かなかったのですが、肉の部位によって味わいがまるで違うという勉強をしました。
 日本人の食肉文化というのはやはり底が浅いのでしょうかね。それとも、当方の勉強不足ということなのでしょうか。これまで肉などは、軟らかくて、脂は好き好き、丸元淑生の料理法にのっとってやってきたのですが、肉自体の味わいなどというのは、正直いってその範疇の問題で、あとは料理法、新鮮さ、そのくらいしか分からなかったのです。
 しかし、ここで、今回はいろいろ試してみました。スーパーで買ったり、レストランで試したり。
 リブロースなどのあの味わいの妙はアメリカ人が鈍感だと信じられていた味覚とか繊細さとかの思い違いを吹き飛ばすものであります。
 ロンドンでも同じことを感じたことがあります。どうして、まことしやかにつまらないデマゴギーが流布されるのでしょう。
 考えてみればどこの国でもそこに住んでいる人間がいる、この単純な事実を誰もが軽んじるからでしょうか。
 人がいれば、そこに生活があり、食にしても生活の中からその土地と土地の理由に適したものが生ずる。食に限らず、人間の存在するところ、人間の五感と思考と生命のエネルギーからあらゆるものが生ずるわけです。
 こんな単純なことが、ひとつひとつ身に沁みて来るのも興味深いことであります。

 ノートを開いていただいたそうで、わずかの日数しか滞在しないので原稿が少ないのではないかと危惧し、なんでもやたら書いております。しかし、相手がいるというのはたしかに何かをまとめたり、思いつきを書き飛ばしたりするにはいいことなのですね。これは、****さんに感謝しています。
 小生、読み手を必要としないという立場をとっておりましたのでとても勉強になっております。
 ただ、どうしてもひとり勝手な、他人からみると独りよがりに見える文章になっていることには反省をしております。
 しかし、あまりそのようなことに拘泥すると、自分を秘匿するような嫌らしさがつきまとうことも、経験上知っているのです。
 ネットワークというのは難しいものですね。
 権力と情報という問題があるからです。
 そのへんのふっきれなさが、なかなか心底をあからさまにできない事情だということは、恐らく多くのネットワーカーの感じていることではないのでしょうか。
 例えば、pc-vanでの例の無原則なやりとりはその無原則性に問題があるのではありません。なぜなら、それはその無原則なやりとりの中で自ずからあるスタイルが生まれるわけで、そんなことはこれまでのネットワークで体験されていることであります。
 しかし、だからといって、ある結論や技術の向上を目指すために、何かに集約して、ただの情報の端切れにするというようなやり方によって、紳士協約を暗黙裡に互いに押しつけるというのも考えものです。
 問題なのは、あそこではいままで暗黙に避けていた権力と情報産業、その補完になるか、まるで次元の異なる存在に育つかが未分明のネットワークというものの根本的な問題が現れているからです。
 ネットワーカーが超右翼だろうが、極左だろうが、そんなものは個人の喧嘩の仕方でしかないし、そんな喧嘩はそのうちにつまらないルールができて、これはその場が対話ではない、デモンストレーションでしかないといっても同じことで(おそらく、このsigに登場していた方のものではないでしょうか、なるほど面白い意見がpc-vanに以前発表されていました)、意地で続けているうちに疲れてしまい、放り投げるのが関の山です。
 はっきりいって、だれがネットワーカーを、その言動を守るのでしょう。どうあがいても、無記名制を実現できないネットワークにおいては少なくともそのことを考えておかなければなりません。
 もちろん、年を取ると生きている間にいっておかなければ義理が済まない、ということもあるのでしょうがね。その場合には怖いものなしです。
 しかし、このことは、非常に重要な問題だと思います。
 ビールスだとか、トロイの木馬などというよりも、もっと根本的なヒューマン・ライトともいえるレベルの問題だからです。
 アスキーがかなり良心的なレベルで、それも慎重に考えているのは分かりますが、こうした問題を企業という形で成立させるわけにはいかないということも事実です。
 しかし、あえて聞きたいということもありますね。
 若き企業責任者の西さんが、タイミングが合えばリクルートの江副某になっていたかも知れないわけで、おそらく今ごろ、情報戦略の中軸にノミネートされてある種からの攻勢を受けているのでしょうから。
 しかし、この情報産業の近未来小説はどのような形で進められるのでしょうか。

 途中でやめたはずなのに、またいい加減なことを書いてしまいました。
 年なのですかね。小生も後がないということか。
 と、ここまで書いて、30階のホテルの開け放したラナイから数台のパトカーのサイレン(?)とパンパンパンという音が聞こえる深夜零時です。
 ふふふ。

 緑字斎




Title:作品:ハワイ通信
Date :11:35pm 4/29/89

メモ 82962番
From: ****
Date: Fri, 28 Apr 89 23:59:11 JST
To: a.kamita
Subject: 返信です ****

 旅の椿事とは、なかなかおもしろおかしいものがありますね。こういうこと(およびその対策)をまとめた本が日本で多少は出版されてはいるようです。緑字斎さんの例が掲載されているかどうか知りませんが……。

 商社など海外出張が多いところでは、こういうこともマニュアルになっているそうです。

 しかし、本にしても、マニュアルにしても、そんなものをまともに読んでいる人はそんなに多くないでしょう。何よりも行き先の情報を詰め込むだけで精いっぱいでしょうから。

 それに本にしても、マニュアルにしても、文字になってしまうとどこか古くさくて、杓子定規な内容になってしまうようです。事件に遭遇した当人も帰国してからまとめると、忘れてしまっていることもあるでしょうしね。

 こうして、旅の途中で、ヴィヴィッドな話として聞けるというのは、またネットワークの醍醐味でしょう。

 グローバリズムとリージョナリズムの話は、私がACSに参加しておらず、その高野氏のレポートも読んでいないので、曲解するおそれがありますが、あえて感じたことをのべると、こうでしょうか。つまり、国家にしろ、企業にしろ、世界的であれと言われると同時に地域的であれと言われているこの現状のことです。そういう状況を指して「グローカル」という造語を生み出した人もおります。

 ナショナリズムとインターナショナリズム、たとえば鎖国国家と貿易国家の対立というのは、争いが国境線に沿って起きるから見た目にもわかりやすい。主語は国家です。ところが、グローバリズムとリージョナリズム、たとえば米国連邦政府とハワイ州の対立というのは、少々わかりにくいものがあります。

 もっと言えば、そんな対立があるはずもないと考えるのが既成の人々でしょうか。というのは米国連邦政府は、ハワイ州の上位にあって、米国連邦政府が「Yes」といったことはハワイ州においても当然「Yes」なのだ、そう考えるからです。

 企業においても、本社(ヘッドクオーター)で「Yes」なものは、支社においても当然「Yes」であろうか? というと、私の乏しい体験からいってNoである場合も最近は多いという感じです。

 本社はありとあらゆる世界への窓口で、支社は個々の地域の拠点である、などという状況を実現している企業では、取締役が支店長より少ない権限しかない場合もあるだろうということになります。そういうことになるとピラミッド型階層による組織の硬直が避けられるというメリットがあるのは容易にわかるでしょう。

 これはまた学問の世界で「1つの原理さえ知っておれば、あとはそれの応用によってすべてがわかる」という教条を崩すものでもあります。

 パソコン通信のSIGの構成というのを見ると、大きなネットではたいてい非常に多くのテーマでメッセージのやりとりが行われていますが、さりとて、そのメッセージの内容が、小さな草の根ネットのメッセージと比べ、必ずおもしろいかというとそうではないという状況と似たところがあります。

 私は、大新聞やテレビの影響力に憧れながらも、その傲慢さに腹を立てることもあります。たとえば大新聞やテレビはプロでありながらときおり嘘を報道するのですが、ちゃんとした訂正はほとんどなされません。そういうとき、ネットで素人の人がちゃんと事実を書いていたりするとホッとするものがあります。

 肉の話はなかなか興味深く拝見しました。なるほど、やっぱりそうだったかと思う反面、肉には場所によりそれぞれおいしさがあるんだという多様な価値観を肯定する度量がないと、だめでしょうね。おそらく「松坂の霜降り牛肉」よりまずいものしかアメリカにはないと思う日本人がアメリカ人の舌の鈍感さを喧伝するのでしょう。まあ、さしずめ彼らは未だにインターナショナリズムとナショナリズムの論理の中にいる人々でしょうか? ナハハ(^_^)。

 まあ、独りよがりはお互いさまではあります。パソコン通信では、互いの顔が見えないので、いつの間にか自分と対話していることが多いですね。またROMの方々にもわかるように書く技術は、訓練が必要です。

 おっと、ここまで書いたら麻雀のおさそいが入ってしまいました。続きはまた。


 実は今日(28日)も寒かった       (****)


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