ハワイ←→東京通信記録05 |
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メモ 83543番 From: a.kamita Date: Sat, 29 Apr 89 20:47:41 JST To: **** Subject: 第四弾です バニアンの木蔭の夜に街路灯は消ゆ 影の冷たさ 雨の鋭さ 暑熱を支へるもの 珊瑚が崩れた砂だけの浜辺は火の匂ひがする ****さんへ なるほど、電源の瞬断ですか。そうすると、ラップトップの内蔵バッテリーはバックアップ装置の機能を持つといいわけですね。それと、携帯用の外部バッテリー(これは、たしか既にあるらしいですが)があると電源の問題に頭を悩ませることが軽減されます。しかし、そうするとまたまた重量が大きくなる。 はっきり申しまして、小生、ラップトップを持ち歩いているのはもう意地の世界でありまして、短期の滞在ならとても持ってはいけません。 これは、例えば、このノートを読んでいる方はご注意下さい。体力と意地があれば別ですが、こまめに滞在先を変えるとか、レンタカーなどを使用する計画がない場合は、現在のラップトップの重量では無理です。(もちろん、携帯ワープロもあるのですが、小生もワードバンクノートを持ってきたことがありましたが、ほとんど実用には堪えませんでした) なにせ、アダプターがいくつか、その他コード類、モデムボード、カプラー、工具セット、蓑虫プラグ、フロッピー(3.5インチは結構、数があると重いのです)、最低限度のマニュアル類、それに旅行本来の荷物があるのですからね。 機内でマシンを使う話がacs(****さん、ごめんなさい。しかし、pcsにもおられる辻バードさんという方が、向こうで旅先通信というノートをいくつか開いておられ、なかなかこのような問題には先進的であります)で出ておりましたが、実用的な観点からは国内の移動に必要な時間ではたしかに内蔵バッテリーで間に合うわけですが、はたしてそのような忙しい状況の中で短時間に集中的に何か作業をするということが、趣味の問題を除くと、現実的な問題であるのかということと、もうひとつ、国際線で数時間以上の移動時間がある場合に今度はバッテリーの限界があるわけで、これもその限界によって作業がさらに限界をもつということになるのではないかということを考えると、携帯するマシンというものは現在のところ、移動可能のデスクトップという形になると、小生は我ながらこのような結論に達するとは思わずに、びっくりしながら考える次第です。 あれあれ、いつのまにか、現今のラップトップ業界の代弁をしている。これは困った。 問題は、電源という問題が先で、重量が後だという、小生が去年から苦労したことから導きだしたことなのであります。 本当は両方ともクリアしなければならないのですが、あるいはまた、ワードバンクノートのような、機能を分割して、なおかつ「機際」的(?)なコンセプトを基礎にした形もあるのでしょうが、これが結構支持されてきているというのは小生は首をかしげることなのですが、16ビットマシンを大容量ディスクで、システムを作って使用してしまうと、もうどうしようもないというのが偽らざる感じです。 少なくとも、今回は286Lに2Mのラムボードを(電池がついていて、ボード上の内容は消されない)飲ませ、HDのように使用しているので、とてもノートのようなものは使えなくなったというわけです。 もちろん、価格面の問題は大きいのですが、それは企業側が現在の技術水準から最も要求されている開発の方向の前に何重もの寄り道をつくり、消費者を愚弄するような販売戦略という古典性を正当化する理由にはなりません。松下幸之助が死亡したそうですが、USA TODAYには出ていないようです。見落としたのかな。彼の企業経営哲学というのが、結局世界に通用しなかったというのは、どのようなことなのでしょうか。もっとも、小生、その方面はまるで知りませんが。ただの思いつきです。 NECにひきつづき、最近のエプソンのやり方に非難が上がっているということは、これはただではすみませんよ、ということです。 電話にしても、電圧にしても、あるいはさまざまの手順にしても、互換性というものは本当に大きな問題ですね。誰もがいうので、繰り返すつもりはありませんが、企業とか国家とかを超えた、ヒューマン・ライトというようなレベルでの互換性についての論議というものが、たとえばこのネットワークの実験で実現されていくというようなことについてはいったいどうなのでしょう。 プログラマーやSEの方の、たとえばPDSに関する関わりなどにはそのような問題に対する情熱というものが感じられるので、こういうことを述べるわけです。 小生はネットワークというものに過分の感情をすでに抱いているのでしょうか。 たしかに、****さんのいわれたように、自分との対話という性格を強く持つというのが、ネットワークを前にしたタイピングの作用です。アルコールなどはいるとそれはさらに深まります。このようなことを繰り返しているうちに、どうも小生はネットワークとの関係を以前と異なったものにしているような気がします。 はまってきたのでしょうか。 しかし、日常的な生活に戻ると、制約されることがあまりにも多いので、こうはいかないのでしょうがね。 今日は、家内が風邪で、ホテルのプールで子供たちと過ごしました。 遊びに来ている身としては、ここは自分の家にいるのとなんの変わりもないのんびりしたところです。 夕方、熱の少し下がった家内をつれて、運河沿いを散歩し、思いがけずうまい中華料理店をカパフル通りにみつけました。 ロブスターの生姜と葱の炒めもの、八角茴香の効いたローストダック、烏賊のフリッター様の揚げ物、特製のチャウメン、特製の湯緬、飲物で、4人で50ドルちょっと。 味も、小生が昨年、香港やロンドンの中華街で食したものと遜色のないうまさ、安さでありました。ひとつひとつの内容と味を開陳するのも一興なのでしょうが、ちと嫌らしい趣味のようで、小生はよしとしませぬ。 中華料理は、おそらくどこにいっても、まず安心して食べられる世界性を獲得しているようです。 この間亡くなった色川さんのことはいささかショックでした。 生きなければならない人が早死にし、どうでもいい人間が生き恥を晒す。 新宿の雀荘や呑屋で言葉を交わしたことが何度かありましたが、あの人はどのような状態であれ、いつも確実に存在しているという強烈さがありました。 小生の好みからは「怪しい来客簿」なのですが、阿佐田哲也の言葉としては例の「雀卓の上でツキという風船をつつきあっている」というような表現で述べられていたことが、当時、勝負というものとわりとまじめにつきあっていたせいもあって、自己抑制のことだとそれはそれでありがたがっていたのですが、どのような想いで東京っ子の彼が東北に越していったのかは知りませんが、あの風船が絶対的な虚無そのものであることは確かなことだと、今にして思う次第です。 もう随分麻雀などやりませんが、新宿のさまざまの裏通りの懐かしい景色が脳裡に浮かんでは消えします。 そういえば、小島某という雀士は東スポだったか日刊だったかの事件の後どうしたのでしょうか。 麻雀の話があったので、つい、書いてみました。 今回は、ROMの人だけではなく、メールの相手の****さんにわからないかもしれない、独りよがりの世界で呟いてしまいました。ごめんなさい。 緑字斎 Title:作品:ハワイ通信 Date :12:29am 5/ 2/89 83729番 From: **** Date: Sun, 30 Apr 89 03:10:32 JST To: a.kamita Subject: 返信です **** 緑字斎さんへ 緑字斎さんは「現今のラップトップ業界の代弁をしている」などと仰っていますが、いつだったか日本電気の販売関係の人から似たような話を聞いたことがあります。いま「ラップトップ」と呼ばれている商品は、本当はラップトップではなく、「日本的デスクトップ」なのだということです。ちゃんと承知しているわけです。さしずめ兎小屋向けの卓上マシンということですか。彼らが定義しているラップトップは、現状の商品よりずっと小さく軽いものでした(寸法、重量など数値をあげていましたが、今は失念してしまいました)。そして、ワープロと通信に利用する程度だったら、それは携帯型ワープロで用が足りるとも言っていました。 その一方で、ワードバンク―Noteが実用に耐えないというのも、同感です。一度、田舎に持ってかえって使用したのですが、パソコンがまったくない環境でも気のりがしませんでした。基本的な性能がパソコンと見劣りがしますね。鞄に入れて近郊をうろつくこともありますが、机がない場所では使用する気が起きませんね(少なくとも椅子は絶対必要)。そもそもキーボードが両手を使うからです。 国内の移動の中でワープロやラップトップ・パソコンを利用するのに比較的余裕がある時間と場所といえば、1.東京―大阪間程度の距離での新幹線の車内、2.東京―筑波間くらいのタクシーの中、3.出張先でのホテルの中、4.喫茶店や図書館の中などとなりますか。 確かに、国際線の飛行機の中のようにバッテリーが続かないということもあるのですね。 もう、これを解決するには、小さくて長持ちする電池の登場を待たねばだめでしょうかね。幸いなことに、マシンの回路に要する電力は、機能が同じなら年々少なくて済むようになるようですが。 ただ最近でも電池はあまり進歩していないようです。当面、「ラップトップ・コンピュータ」の電源はただの付けたしにしかならんようですね。 私個人は、コンピュータ・メーカーが消費者を愚弄するような販売戦略をとり、何重もの寄り道をしているという見解はあんまり持っていません。というのも、メーカーはパソコンなどという1セット50万円程度するものを個人向けに作っているはずがないのです。私の記憶では個人用途はせいぜい1割です。残りは法人・事業所向けです。しかも、個人用に売れているのは、日本電気のPC-9800と8800(およびエプソンの互換機、しかしこれは絶対数が小さい)くらいのもので、ほかのメーカーのは個人に対するシェアではどんぐりのせいくらべです。しかしPC-9800に関しては法人・事業所向けであると同時に、個人向けでもあるという非常に特殊な状況があります。 大部分のメーカーは、個人向けにはワープロを提供しているということになっています。実際、パソコンおよびワープロの人口当りの普及率をアメリカと日本で比べてみると、日本ではワープロとパソコンを足した普及率が、米国のパソコンの普及率といい勝負をしているということになります。米国ではワープロがほとんどないということを考えると、日本の普及率もまんざらではないということです。 ところで、こういう現状を個人向けネットワークというフィルターを通して見ると、まるで事情が違って見えます。そのフィルターを通すとまず、モデムをつないでいないマシンがカットされます。次に法人・事業所ユーザーの大部分がカットされます。そして、最後には、手間と暇および金のかかることをものともしない人々が残るわけです。 パソコン通信がマクロなマーケットを見るには、どれくらい不適格かがよくわかると思います。しかし、一方でこれらのフィルターを通してもなお残っているユーザーは優れて先進的でもあります(これは自画自賛かな(^_^))。ミクロで先端的なマーケットを見るにはこれでもよいのです。しかし、悲しいかな売上何千億円、何兆円という大企業がみるには、もはやこのネットワーカーというマーケットは小さすぎるらしいです。 これが、ネットワーカーから見て、パソコン・メーカーが理不尽で不可解な商品開発を進めているように見える理由です。 どうも、緑字斎さん以上にパソコン・メーカーの弁護をしてしまいましたようです。こんなことを書く暇があったら、作品でも書くべきでした。 最近のニュースでは、アスキーや富士通などがパソコンの操作性を統一しようという団体をつくったというのがあります。これも一見「親指シフト」の普及協会みたいに見えるのですが、それはやっぱり先入観かな? 互換性と言えば、非常に成功している例として、自動車の運転をあげる人がいます。それがパソコンや通信の世界でうまくいくでしょうか?互換性で議論はできても、実行できないこの業界の競争体質が問題ですね。 うーむ、また業界の弁護をしてしまったようだ。 とはいえ、こんな例もあります。昔々あるところ(^_^)に「AX」というコンセプトで互換性のあるマシンを作ったメーカー群がありました。操作性は同じで、ソフトの互換性もありました。勢い勇んでX社のセールスマンがA社に売りにいきました。するとどうでしょう、A社はY社の系列の会社なので、Y社のAXマシンなら買うが、X社のAXマシンは買えないというではありませんか。同じものならX社のマシンを選ぶ理由などA社にはないのでした。こうして、いつしかそれぞれのAXマシンは特別な機能をつけて差別化をはかり互換性がなくなっていったのでした。な〜んていうのが真しやかに流れています。 しかし、ネットに参加しているプログラマーやSE、そしてマニア(?)の人の情熱というのは確かに並々ならないものがありますね。アスキーの西氏にしろ、日本ソフトバンクの孫氏にしろ、若い人が企業の経営者として存在するのが、この業界の可能性を信じたいと思わせるところです。 まー、なんたらかんたら私も「はまって」しまったようですね。 昨日(29日)は、風はやや冷たいながらも、強い日差しに恵まれて日中は過ごしやすい一日でした。午後3時頃に、千鳥が淵辺りを散歩しながら、すっかり緑が濃くなった桜の木々を眺めました。 「みどりの日」と名を変えた休日は、フェアーモントホテル辺りの宮内庁宿舎などでの爆弾さわぎ(深夜に車が炎上した)を引き起こしましたが、私が歩いていった時刻にはだいたい片がついていたようでした(警備の警官は多かったようですが)。 しかし、29日の日本の朝刊のトップは、なんといっても、予算案を自民党が衆院本会議でも野党欠席のまま単独可決したというものです。予算委員会でも中曽根喚問問題で審議がストップしていたのですが、自民党は「竹下首相がやめることで、話しはついた」ということで、野党欠席のまま27日に委員会で単独可決してしまいました。28日は本会議でもということです。新聞の論調は「数にものをいわせた憲政初の強行」といったものです。竹下退陣表明後の朝日新聞の調査では、自民党の支持率(42%)が野党のそれ(44%)を下回ってしまいました。竹下首相の後任はやはり永田町の霧の中です。日本に帰りたくなくなりましたな?(^_^)。 私にとっては、色川氏は完璧に阿佐田哲也氏でして、作家色川氏の作品はこれを機会に読んでみようと思っています。麻雀マンガなどに登場する彼の「睡眠打法」が実はナルコプレシーとかいう病気のせいであることを知ったのはかなり前で、それが若い頃の生活に原因があると彼が作品の中で書いているのを読んだ記憶があります。最近では、読売新聞から賞を受けたときの記事で、「やりたいことがいっぱいできた時に、残された時間が少ない」みたいなことをいっていたのが印象に残っています。本当にそうなってしまったのですね。残念ながら小島氏の話はちょっとわかりません。私は麻雀はほとんど付き合いで、雀荘にフリでいくなどということは、実力がなくてやったことがないのです。麻雀といってもその程度のものです。 長くなってしまいました (****) 前頁 次頁 |