擬宇宙論:5501: 思考と「見方の問題」

思考と「見方の問題」

意識は身体に属する機能であると思われるが、精神、魂などというものも、それらのありように近似しているようだ。
精神、魂は実在とは無縁のようだが、思考は身体、意識と切り離された独自存在であると考えることはできないだろうか。
つまり、思考は生命系の活動と切り離される実在であるかもしれない。
また、思考は「見方の問題」自体であるのではないかとも思えるが、この点も重要である。
なぜなら、量子論における量子の選択性つまり不確定性は、測定器(「見方の問題」)という非生命系存在によって決定されるということから、そもそも「見方の問題」は生命系に依拠する必要はないからである。
とすると、非生命系も思考を発生させることが可能であるということにならないだろうか。
また、このようなことから、思考は意識が消滅しても存在するという可能性はないだろうか。
この測定器は測定することによって「見方」を生成する。
この「見方」こそ思考そのものであるとすると、思考は意識とは独立して実在するといえる。
並行宇宙論によると、「見方」が並行世界の生成因であるならば、思考は物質としての世界の生成因であるとも考えられる。
身体という「機能の統合体」は生命活動の統制システムであり、脳レベルの機能と密接に関係する意識もこれに帰属しており、この統合体が消滅すると意識機能も消滅する。機能しなくなる。
しかし、思考は機能ではないから、生成物として実在したままである。
このことは、測定器という物質が「見方」を生成するということから、またその「見方」が「あるひとつの世界」を選択し、展開していくということから証されるのではないだろうか。

[作成時期] 2007/02/19