擬宇宙論:528290: 〈美術衝動〉Super-string Theoryシリーズについて

〈美術衝動〉Super-string Theoryシリーズについて
  宇宙をイメージするのではなく、宇宙論という思考から触発されたイメージを展開する。

Super-string Super-string Theory, 2005.7, oil, canvas, F100×5(651.5×162cm)

Super-string Super-string Theory, 2005.7, oil, canvas, F100×5(651.5×162cm)

 わたしには、生きている間に次の問題をなんとか知ることはできないかという根強い思いがある。
 それは、人間とは何か、存在とは何か、宇宙はどうなっているのか、という三つのことである。
 そして、これらのことを主要なテーマにしてこのシリーズが生まれた。

1) 「人間とは何か」という問題
 人間存在においても包含?被包含、つまり詳細化される部分構造の重なりが複層的な入れ子となっている。
 その詳細化された部分は、単に全体の一部ではなく、独自性を持っている。
 そのような詳細化された部分が発する叫びの集合によって、人間は人間を人間たらしめているに違いないのだ。
 このように考えると、おのずから存在の基点という問題に向かわざるをえない。
 この基点、モナドの底から累積している叫びこそ、解放衝動と名づけうべきものである。
 この解放衝動は、あらゆる全体化に抗い、それぞれの存在の自由を求めている。細胞も、血や肉も、手や足、内臓、神経、脳みそから髪の毛一本さえも、それぞれの意志において。
 このような問題を原初的なテーマに据える場合、それは必然的にマチエールの造形と関連していく。キャンバスにおける肉体的行為とその体験として――。
 肉体の深奥から立ち上がってくる衝動が、ニードルやナイフやサンドペーパーを選択するのであり、モナドの戦慄が画面の多層化を要求するのであり、マチエールの実在感がそれぞれの存在の証となるのである。