〈美術衝動: 文〉作品“Super-string Theory”についてのメモ

〈美術衝動: 文〉作品“Super-string Theory”についてのメモ

1次元対1次元に収斂されるということ。
すべての次元を1次元に折り畳むとすると、基点と全体との対峙となり、包含関係が消失する。その1次元は多次元を畳み込んでいる。
宇宙と内部存在を求めることは同じことで、これを同時に実現しているのは行為である。
ミクロの宇宙論とマクロの宇宙論という同一の問題を、人間存在は肉体的行為でつなぎとめている。

この肉体的行為という原初性。
ここから、細胞・DNAから量子論的な電磁気力まで下る存在の基点へと思考をめぐらすことができる。
それは、その地点から立ち上がる解放衝動が何を突き抜けていくのかという問題でもある。
11次元の宇宙論をそこから掴まえられるかということ、1次元 vs. 1次元。

生きかつ思考する。
美術とは作品をいうのではなく、この行為に意味がある。
作品が物質的に永遠ではないのだから、したがって作品に向かう技術も現実性も評価さえも意味はないのだし、まして美術作品とは行為の一方法であるから、問題はあらゆるアートの底にある行為と思考をつなぐもの、解放衝動自体にあるといえる。

  第9回”Super-string Theory”展にて

[作成時期] 2005/08/12