〈解離手帖〉2002: イメージ情報

イメージ情報

夢は情報断片の小さなセンテンスの分散集合であるが、夢を見るものは、「関心」「注目」の力によって、ここから相応の情報を導き出す。否、抽き出すというより、自身の「関心」「注目」の根拠となる蓄積された情報を対応させ、そこから自身の情報構築をなすのである。
夢は情報断片であり、経験された情報のセンテンスをもつから、これをコンテクストに再構築する何らかの力、欲求の強度に応じて、情報経験として、内部にさらに蓄積される。
同様に、映像、画像も、他者のコンテクストであり、これを見るものは体験への欲求のインパクト(強度)、同調なしには、何らこれと関わることはない。
つまり、自身の情報蓄積と同調するか、反撥するか、あるいはまるで新奇のものによる刺激を認識しうるかによってしか、この情報を経験することはない。
見る者の情報蓄積から何らかのセンテンスを抽き出す(つまり、コンテクストを構築するファクターがあるということ)か、蓄積された情報からは組み立て不可能な衝撃力のある「絶対断片」(?超情報)を認識できうることで、はじめて「関わる」ことができる。(「意味をもつ」とは異なる。意味をもたなくても、体験=情報の刷り込みは有効である)
私にとって興味があるのは、まるで新奇の情報を提示することと、見る者の情報コンテクストを抽き出して、「新たな」情報体験を生じさせることで、創造への参加を、イメージを媒介して試みるというところにある。
決して、見る者の既存の情報コンテクストを増幅するにとどまるというところにはない!

[作成時期] 2002