戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[08]
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ところで、暗い上海の街から市の西部にあるこのホテルに帰ってくると、この近代的なきらびやかな建物が、冷たい墓場か納骨堂ででもあるように思えてならない。人けがないからなおのことそう思うのである。
ベッドに体を投げ出して、中国産の罐ビール(Pi jiu)を呑みながら、日本から持ってきた短波ラジオをつけると日本向けの北京放送が入ってきた。驚いたことに、この時期に、井上靖と中野良子が北京放送何十周年記念だかの祝いのメッセージを述べていた。井上靖は今回の弾圧に抗議する文化人の署名に参加しているはずだから、おそらくそれ以前のテープなのだろう。そう信じたいものだと私は声に出してみた。
歩き疲れたせいか、ビールのためか、ぼうっとした頭の中で夜の人々の流れを反芻していたが、人々というものはすばらしく日常的で、それゆえすばらしく強く、そのようなところではなにものかに抑圧されているような暗さは微塵もないのであった。
私は、どうも日本のレベルでこの厖大なマッスを過小評価していたのかも知れない。
中国の人々は偉大である。
彼らは大きな波の中でしか生きないのである。
あの100万の人間を直接に制圧するような力などこの国の支配者のどこにもなかったということをみれば、このことは明らかだ。そのことを知っているからこそ、突然に日常生活に埋もれることもできるのだろう。そして、抑圧などどこにあるのかというふうに無視し続けることもできる。
このことは都市においてはすでに制度で強制しきれない事態にいたっているということを示すものなのかも知れない。
どう、年をとった支配者があがこうが、まちがいなく中国はこの都市を通じて変わる。そのような大きな波がいまきていると私は思っている。日本が過去に偶然に経験した、何ものかが終わり、何ものかが始まる、その力が、この都市に感じられるからである。