[資料] 天安門事件: 内側から見た恐怖政治[02] (佐丸寛人)

 この他、私は運動盛んな時にスローガンを書いたシャツを、6月4日が過ぎても着ていたが、A市の広場が当局に制圧された頃(6月10日前後)から、友人たちが「頼むからそんな物は着ないでくれ」と言うようになった。始めは、
「『共産党を倒せ』とか『社会主義を廃止せよ』といった過激なことは書いてない。ここに書いてあるのはみんなまっとうなことだ。何も怖がることはないさ」
 と笑っていた。しかし、私も、愛国者が「売国奴」とされ、かたぎが指名手配される時勢であるということが段々わかってきた。確かに新聞を見ても「民主・自由・人権の名の下に社会主義を攻撃した」などという内容の物が多い。結局、あまりに多くの友達が怖がることと私自身が怖くなってきたこともあって、これらのシャツは着ないことにした。

 四、「嘘も千遍くり返せば真理になる」
 
 今回亡命した厳家其が文化大革命の時の様子を評した言葉(厳家其・ 高皐共著、リュウ=グワンイン訳『ドキュメント中国文化大革命』PHP1987年 上巻p.89)
 しかし、上述したことよりもっと恐ろしいのは、圧倒的な宣伝攻勢と脅迫政治のため、こちらの考えが当局のそれに近付いていくことである。「6月4日事件」後1週間ぐらいまでは、巷では「政府はひどいことをしやがる」というようなことはみんな言っていた。だが、広場の根拠地が潰され、「虐殺だ」と言った肖斌氏が逮捕されるに及んで、人々はそういう発言をするだけでも牢獄行きとなることを知った。こうなると、密室で友人と二人きりで話す時でさえ、「虐殺」といった単語は避けるようになる。というのは、そういった言葉を口にしていると、食堂とかバスの中といった自分たち以外の者がいる場所でもうっかり言ってしまう恐れがあるからである。それ故、自室でも「反革命暴乱平定」と言い、それが癖になるように努力する。
 始めは、「俺は口でこう言っているだけで、心の中では学生たちの運動を支持しているんだ」という自信がある。ところが、自分がいつも「暴乱」「暴乱」と言い、信用の置ける家族・友人も「暴乱」と言い、職場の「学習会」でも自他ともども「暴乱」と言い、テレビ・ラジオ・新聞も「暴乱」と言うのを聞いていると、段々判断力が鈍ってくる。
 また、11日ぐらいまでは学生たちは、VOA・BBC・NHKや香港・台湾のラジオ等にダイヤルを合わせていたのだが、今やそんなことはできない雰囲気になった。まして、一般民衆、特に農民は始めから海外短波など聞いていないだろう。