未刊行詩集『空中の書』12:

夕暮どきともなると、樹々のざわめきの奥に見え隠れする獣の対になった姿をみとめることもある。
館まで小一時間ほどの細い道を、そんな獣たちの挙動を盗み見しながら登りつめてゆくと、さほど高くない丘の頂が手の届くような近さにあると思われて、つい手を伸ばして、届かぬ肉体の限界と飛びゆけぬ精神の力の足りなさに歯がゆい心持ちが生じ、軽やかな足どりの障碍とさえなる。人には住むべき処と見うべき性質の夢など、歴然として何もないのだということに立腹してみても、さしたる問題にもなろうとは思われぬが、かといって、翼が生えて蒼穹にはばたこうなどとは考えてみた試しすらない。
古代、青い、あまりにも深い碧の内海で水底に舞い落ちた慢心の少年がいたという話は有名だが、そのような慢心のありようもわからぬではない。
獣道のような、わが眷属が拓いたこの道を淡々とした思いで進んでいると、いつしかこの道の絶ゆる先は弓のように反り返って、ちょうどスキーの跳躍台のように、限りのない大空の彼方にしなってゆくのではないかという妄想に捉われるのだが、心の奥底では、あながちそれが幼児的な空想でもないのでは、という一種不吉な病が頭を擡げはじめる。