寄稿: 佐藤裕子 「紅筆」

紅筆 佐藤裕子

遠雷を避けても虫籠が顫える雄を食う雌を子が食うも言伝
 静止した顔は水温で緩み渉れぬ川を花に曳かれ海へ
螺子を巻き無意識を縫う南京虫文字盤を逆走る一途な喩え
 化身した死者は大樹に宿り足を濡らし両腕を広げて
生家の紋は酢漿夜閉じる葉に身を滑らせ冴える眼裏遠眼鏡
 瀬踏みする格子に入水のように迎えられ集いた相聞
手を伸ばし半島を羽織り隔世遺伝の出で立ちで帰る百年前
 絵空事が現を従え交わる水域熟れず落ちた実の重ね
目の利かぬ不寝番の袖を取り望郷が受粉する紅玉の林檎園
 出来事を漏らさぬ雷雨ひとつ残らず見尽くす千の眼
寝返りする幼虫は親知らず呼び交わしを数珠繋ぎする蒼天
 選んだ価の重みを試し水面は溢れ錬金に耽る夜明け
蛍火が拭った絎け針の躊躇い鶴を折る祈りで指を突く戯れ
 系譜に無い者憧れを抜かれた者潜み孫娘を待ち伏せ
紅指でなぞり唇は花降り頻る追憶の遥か水鏡で二色に別れ

(2016.3.13)