連載【第022回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: missing acts 2

 missing acts 2
 その部分は遊離しているのではなく、無知であるために包括的に独立しているのかもしれない。それは知的な認識という回路を必要とせずに、たんに気づかないでいるというだけ。気づかないふりをしているということとは違うのだが。あるいは純然として気づかないということ。だから、君が誰で、そのときどこにいたのかと問うたところで、その質問ははぐらかされ、ただ吸引されて、反問されることはない。無視されているのではなく、空っぽの向こうに吸収されつづけていくのである。
 だが、気づいていないことと知らないこととは根本的に違うのと同じように、気づくことと知ることは永遠に結びつかない。自分が自分の内部にある空っぽ、あるいは内部にないはずの空っぽに気づくことは不可能だが、自分が空っぽの部分を持つことは知りうるし、まさしく空っぽ以外の何ものでもないことを知りうることも可能なのである。

 この関節の、いたるところにあるリウマチ性の結節は悪性腫瘍ではない。それでも、まるで甲羅をまとって身を守るように、いたるところで発現している。それは無知という空洞を守る意識と同じだ。だから、その部位は叫ぶことが可能なのである。あるいは叫ぼうとすることが可能なのである。けれども、もちろん、その方法もことばも知ることはない。神経反応という苦痛、苦痛という意識の非在、その悲鳴だけが!(欠落行為)