連載【第041回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: life genes 3

 life genes 3
 昂揚し、陶酔しきった癌細胞。それにしても、いっさいの生命が装置として存在するとは……。身体という機構の内部にあるものを見よ。たしかに、肉体の細胞はその独自性と身体システム機構とに軋轢がある。細胞の個々の意識も身体システムと対峙している。しかし、ある塊となり部位を形成したとき、身体システムに圧倒的に支配されるに違いないのだ。だが、本当にそれだけか。
 そう、癌細胞だろうが宿主細胞だろうが、細胞レベルのDNAと意識は全DNAシステムに完全に支配されていることから解放されることはないだろう。個々の身体さえも全DNA生命システムのファシズムの渦中にあるのだから。だが、それは本当に永遠のファシズムということなのだろうか。植物と動物を統べる全体性。ここまでの歴史の成功と失敗。食物連鎖に始まり、膨大な殺戮を繰り返して築き上げたシステム。そしてさらに永遠の時間と生命を得ようとする欲望。おそらく、地上さえをも飛び出して宇宙にDNAをばら撒こうという野望。DNAシステムは、はたして宇宙の苛酷さと一瞬でも同化できるのかどうか。私にはとてもありうることとは考えられない。やわ(・・)な蛋白質に。
 物理学的なさまざまの事象。物質の相転移、苛酷なケルビン温度の嵐、時空間の相対化、最大と最小、真空、無と有などのあまりに恒常的な現実。DNAの幻とは異なった真実(・・)の、現実(・・)にどう生き残っていくことができるというのか。まして、増殖して宇宙を席捲するなどとは。ここには、ファシズムを支える根拠としての全能などありはしないのに。
 では、この地上のDNAが生み出した細胞の意識は、あるいは反意識は、最小の物質が存在と宇宙を選択することに関与できるのか。そもそも見えるのか。そもそもそのサイコロが見えるのか。(生命遺伝子)