連載【第044回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: struggles 3

 struggles 3
 しかし、細胞の内部にあるDNAは私に何も語りかけてはこない。彼ら自身は独立した個体ではないからだ。彼らは個々の生命ではないからだ。彼ら自身は意識を持たされてはいない。また、彼らは無意識でもない。つまり、彼らは蛋白質に発現される前の塩基にすぎない。それだから、私は推測するしかない。彼らは彼らではない。彼らはもの(・・)なのだ!
 DNAは存在の記憶庫である。生命系の存在を永遠たらしめるという妄想によって作られた記憶庫とでもいえよう。当然ながら、コンピューターのCPU(中央演算装置)と圧縮プログラムと記録媒体との関係をイメージするのが適当だろう。CPU本体は一瞬の判断をするが、記憶と記憶の集積はできない。個別の判断を一思考とすると、この思考は持続できない。持続するエネルギーがないと動作もしないし、機構の機能もおぼつかない。したがって、瞬間を超えた個体としての維持も不可能なのだ。それゆえ、生命体の持続と永遠を妄想して、記憶と記憶の集積のために細胞内にDNAを創出し、そのための生命作用、つまり複製による増殖システムを作り出したのかもしれない。そのときすでに、全生命体系としての構築は始められていたのかもしれない。つまり、全生物はたった一匹の強欲な生命体となったのではないか……。

 だが、あらゆる存在は宇宙的規模では一瞬であることに変わりはない。どのように努力してもそれは一瞬のあがきにすぎない。それは一瞬のあがきにすぎない。(あがき)