連載【第050回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: continuation of dreams 4

 continuation of dreams 4
 基底意識は表層に対して基底層を構成していると考えるとすると、深層意識とか深層というものはただ暗部につきまとう幻想性なのかもしれない。つまり、暗部という重積される解釈学があって、これらが意識の核だという古典的な心理学を構築しているのではないか。この心理学においては情動とか欲動は生理的場面での選択を実行するのかもしれないが、もし意識がその選択決定をする根拠、エネルギーを持つならば、このエネルギーは物理的エネルギーとは異なる衒学的エネルギーということになる。
 また、この生理的エネルギーが物質的な過程を持たない幻想的な代謝物であるとすると、エネルギーの発現とか発火などという物理現象を実現できようがない。

 原意識、基底意識という肉体意識、身体、人格、精神という統合体意識の二重構造は統合された多元的な回路を持つ情報システムということなのだろうか。それとも、異種異質の細胞間通信の二重存在なのだろうか。まるで別の体系が、波形の位相が交互に現れるように互いを打ち消し合いながら、幽霊通信のように実体の在り処をおし隠している。
 それは単にどちらともつかぬシステムの機能であり、それぞれの組織の属性である。そして意識は自立的に見えるが、細胞間通信の実体のない代謝物である。
 意識における肉体意識と身体意識の二重性は、〈からだ〉における肉体と身体構造の二重性にも通じている。肉体は個々の細胞の独自性から積み重ねられていくが、身体は枠組みとして、統制的な論理構造として外圧的なものだ。いわば、アジア・アフリカ的混沌と、欧米的国家・権力的合理性との差異とでもいえようか。
 表層意識が構造を持つとすれば、基底構造に対して仮想・表層意識という意識の抽象性が統合体意識を構築するプロセスにある。これが、意識が肉体と区別され、非物質的な仮想性を生み出すのだ。基底意識自体が複雑化して身体意識、人格、精神など抽象化の幻想過程という観念体系を妄想するのである。
 この原因には、思考という物質過程の欠落がある。思考と意識が混同されるのだ。思考が生物過程とは別個の物質過程にあり、量子的なレベルによる波動関数の収束プロセスにその発生原因があることと、細胞レベルの信号反応プロセスに代謝物としての意識の発火があることが混同されているのだ。
 思考とは、意識の細胞反応自体の選択判定の根拠を、量子レベルのサイズにまで降りて、それらを集合化して積み上げていく処理過程である。(夢のつづき)