連載【第052回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: tubulin 2

 tubulin 2
――ある思考実験。
 チューブリン(微小管細胞)の次元イメージ。(次元f(x))、回路の切断面。
 マイクロチューブルの次元イメージf(x)をそれぞれの回路の切断面とする。チューブルは管であるから、穴という内部の範囲がある。
 ニューロンのチューブリンから次元同士の接地面イメージ。

 マイクロチューブルをプランク・サイズの管ほどに微小化すると、粒子‐反粒子の増殖との関係も窺えるのではないか。チューブルは管であるから、その切断面には穴という内部の範囲がある。チューブルを次元f(x)と見るとき、f(x)の切断面とf(x’)の切断面には、この穴の範囲という限界条件を持つ次元の接地面が皮膜のかさなりとなるのではないか。
 この皮膜を、ピッタリと貼り付いた薄紙を手のひら同士で重ねてひねり合わせるようにするときにできる、捩れ、縒り、折り目、破れ目などが現れるとする。これらは皺、状態の不均衡、泡の発生寸前の姿と見ることはできないか。

 これは重力の発生、粒子‐反粒子の生成などにつながるイメージでもあるが、この皮膜は次元の数だけの接地面に生ずるチューブルの泡回路と見ることはできないか。また、その回路は回路の内部から見るとき、量子的なチューブルとなるのではないか。つまり、波動関数が収束する場、確率が生成する通路、そしてそれらの持つさまざまの形態の管に見えるのだ。次元と次元をかけ合わせた数だけのチューブルの管がすべての次元間に浮かび上がってくる。
 この収束が、次元の皮膜に無数の泡をつくり、この泡のかたまりの形態が通路の性質に影響し、接地面と管の形態ごとの、物質の生み出す意志(思考)の泡を増殖させていく。

 ロジャー・ペンローズの想定した脳神経のチューブルは、せいぜい原子サイズの物質の波動関数の収束管であったのだが、しかしそれは量子レベルの物理サイズ、プランクサイズの収束装置での意識、あるいは意志の収束が示唆されるのだ。意識と意志を区別するのは、意識は身体機能であり、身体に属しているのであり、身体の外部にはないからである。意識の基底は、肉体が消滅すれば存在できない。それは肉体の代謝物なのかもしれない。しかし、意志(思考)という判定行為は意識の外側にあり、物質の普遍的な場である。つまり、波動関数の収束する物質場なのだ。これは、思考という〈物質場〉と考えるべきである。思考は人間的身体に関与するばかりではなく、物質の意志の収束を示すのだ。

 私はすでに脳組織で考えているのではなく、物質の場、量子としての思考の収束、すなわち宇宙という器そのもので考えているのかもしれない。(チューブリン)