連載【第086回】最終回: 散文詩による小説: Dance Obscura: dance obscura 5: 〈expression〉

 dance obscura 5

 〈expression〉
 私は幼い少年になって、若い母親と父親のかたわらで、子供の姿になった他の乗客たちと同じに、昔のとても懐かしい気持ちに浸っていた。私の目の前に現れた新しい両親は、やさしく清々しい心と体で私を導いてくれる。
 ことばたちの造形は土を捏ねて粘土をひねるように、無数のことばたちの形と命を生み出していった。粗い材木で作られた質素な長細い作業台の上で、ことばの素形と多様な造形、器や断片、塊が浮かんでいる。空間や時間の中に物質の隙間が重なって、静かに浮かんでいる。
 まだ少女のような母親は、貫頭衣に素肌を包んだ少年の私の体に寄り添いながら、ことばの創生の果実を私に与えているのだ。そして、私を慈しむように、代わる代わる私の髪や頬をさすり、接吻するのだ。

 私は君の体に愛を注いだのだろうか。最後の接吻をしたときに、君の痩せてしまった乳房をそっと擦ったとき、こんな時までまだそんなことをと、怒っていたのかはにかんでいたのか、私にはわからない。

 鍵盤楽器の長い余韻のある静かな旋律が繰り返し流れている。初めて邂逅した多くの新しい家族たちのざわめきが、どことも知れず湧き出るかすかな音楽に吸い込まれるように同調していく。もちろん、彼らは離合集散を何度も繰り返し、互いの家族の関係をいっそう緻密に、立体的に、カラフルに組み立てていく。彼らはブレンディッドなのだ。空間の中で粒子がひとりでに均等に混じり合うことこそ物理状態なのである。
 量子と磁気嵐。存在はスライスされる。そうだ、エントロピーとは両方向の見方ともいえる。われわれは常に子供であるといえるが、いつも終末の際で断崖に身を投げ出そうとしている瞬間そのもの。あわい。あるかないかが混合している、過程自体。
 何人もの子どもたち、たくさんの子どもたち。幼子たちはいつも君が座っていた椅子を指差し、君の気配を示唆する。ふわふわ移動する君を追って、子供たちは指を指しながらついていく。
 だが、私の元にはまだ現れない。
 いいえ、あなたの心の中にいつもいるじゃない。あなたの宇宙に、わたしは広がっているのだわ。
 今の世の中だけが今じゃない。次に続く世の中もあるのかもしれないと、あなたの心は私の心に重なってくる。あなたの骨片はわたしの胸にめり込んでくる。あなたと私はひとつに重なる。それはたった一つに同化するのではなく、それぞれ別々でありながら、ひとつの存在に結晶していくに違いないのだ。(dance obscura 5〈新しい生命の発現〉)

   

   亡き妻に捧ぐ

(C) 紙田彰, Akira Kamita., 2017.9.