[資料] 戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[05](直江屋緑字斎)

 割れたガラス窓の奥にある狭い部屋で、家族が小さなテーブルを囲んで食事をしている。八角茴香(アニス)の香り、大蒜や、その他の刺激的な香り、皿に盛られた包頭、上半身裸の男達、ラベルのない緑色の壜には生温かいビールが詰まっている。
 裏道はだんだん狭くなり、突き当たってしまいそうだ。汚れた石の壁、細かな住処。いや、長屋だ。ところどころに水場があり、ここで水を汲み、洗濯をし、共同便所があり、また路地は次の路地につながる。いつまでたっても、どこにも出られない。
 通りかかる外国人は、なんてこの国は貧乏で、不潔で、臭いのだという。しかし、そんなことはない。もちろん、とんでもない不平等はある。もちろん、とんでもない貧乏に打ちのめされてもいる。しかし、いかなる希望も、充実感も、熱さもないというのは外国人の傲慢な考え方だ。そんなことはないのだ。家族は、子供は、恋人達はこうした日々の暮らしのなかに生きているのだ。
 そこにあるのは、思い出してもみたまえ。この国で外国人といわれる、自分達の今の場所からしかものの見えないこの私という日本人でさえ、三十数年前の幼い日の、どこかから解体された古い建材でできた長屋に住み、共同便所からも、狭い部屋からも、湿気た畳からも独特の匂いをさせて、路地を辿って行けばどんどん深みにはまっていく、そうしたあの懐かしい時代は、絶望でもなく、貧しさを貧しさと感じもせず、不潔どころか赤痢が時折発生しても清潔であり、今やどこにもなくなったあの匂いさえとても懐かしいもの。そして、あの幼年期は常にいくらでも夢を食べることのできる黄金時代である。このことは、いつだって、本人にしか分からないことなのだ、私はそう信じている。
 私は確かに私の過去に帰ってきているのだ。
 私たちの視線は、だからこの国の人たちと同じ高さから、同じ低さから発さなければならないのだ。自分達を高みにおいて、貧しいとか、遅れているとか、そのようなことを思うことはとても駄目なのだということを、旅行者であり、外国人であり、つまらない日本人である私は考えていた。
 しかし、いや、だからこそ、人間の問題は国家とか人種を越えるという単純性が魂の問題となりうるのだ。どのようなところからでも、怒りと悲しみをぶちまけることができるのだ。
 わたしは、食べることも飲むことも忘れて、夜の路地を徘徊していた。

 それにしても、上海の夜はいっそう暗い。
 光が、光が足りないのかもしれない。

(c)1989, Akira Kamita