見夢録: 2013年10月13日 詩が書けるような

このところ、仕事の手が少し空いたので、作品制作に没頭している。
ブログの構築なども作業の円滑を図るためのものである(こちらに傾いてしまうときも)。
また、制作の裏側で、これまで書き溜めてきた文書を断片の類まで集めて抽出し、「詩語・句素材辞典」のようなものを作っている。この辞典は、テキストの解体と語句の解体によって、意味と価値を剥ぎ取る作業でもある。
私は1980年代の後半から詩と離れていたが、最近になって急に詩が書けるようになった。そのへんのことは、以前の日録に記した。
改めて考えてみると、作品制作の環境、つまり原稿、文房具、机、書棚、書斎、さらに日常と非日常、国境、空間と時間などとのかかわり全体において、制作システムが激変したことが大いに関係しているようだ。ネットワーク接続、さまざまの端末の形態、ソフトウェア、さらに移動環境のことである。
先の辞典は、PCと関係してから30年の間に蓄積した私的テキストデータを基にしている。もちろん、私自身で書き記し、タイピングしたものである。だから、たんなる引用とは異なっている。
そのあたりのことは、おいおい述べるつもりだが、なによりも自分の脳みそから生まれたことばの素材を大量に仕込み、これらを再構成、解体、再構成といくども繰り返すことで、まったく別個の新しい作品が生ずるというわけだ。
この辞典制作があるまとまりとなれば、そこで作品を生み出すことができる。そうしないと、作品は死ぬまでできないだろうし。まとまりを細かくすれば、日常的に作品は生まれる。と、そういうことだ。
このような次第でブログは使われ、公開されるので、たつきに追われぬかぎり休止することはないだろう、と思いたい!?

メモ:
思考の内にすべてが包まれ、その外に事物はない
思考と情報粒子、その量子的なイメージ
ブラックホールの事象地平、その重力斜面に貼りつく情報粒子
量子スピンによる情報とそれらの構造とつながりの発見、つまり思考の再構成
などのこともそのうち、書こうかなと。