連載【第034回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: spinning sea 2

KL20150519, Akira Kamita, Acrylic, A3

 spinning sea 2
――うわーっ、なんだ、痛いじゃないのぉ。だれか助けて! 嘘ね、医者はうそつき、目が回るくらい痛いのよ。萎んだ体が力なく緩んで、頼りなく覚醒を訴えてつづけているのに。
 しかし、それが手術による損傷のためなのか、病巣につきまとう本来的なものであるのかは、たんに肉体機能の評価の問題なのではないかと。あなたの考えていることなんか、お見通しよ。生命の正‐負に振れ続く機能は、生命遺伝子とでもいう物質に装置されているのだとしたら、この装置がどのような運命に導かれているのかを知ることができるとでも。

 手術後の検査では頭骨の転移は進んでいて、さらにPET(陽電子放射断層撮影)で肺の原発巣が確認され、頭部の癌は縦隔のリンパ節から転移したものという所見が示された。
――だから、その後の頭蓋骨の転移癌に対するガンマナイフ照射は対症療法でしかなかったのよ。
 たしかに癌細胞の棘が正常細胞を露骨に侵していく映像は生々しい。

 けれども、さらに遠隔転移はこの種子を全身の全細胞に植え付けていく。それに対する標準治療の数々、新薬による新治療の数々。その長い長い闘い。
――そのあげく、治療の可否はどうなるというの?
 どのような症状を基準にし、どのような腫瘍マーカーをあてにしても、明確に見えるものなどどこにもない。わずかに確かめられるのは画像診断による病勢の進行。化学治療は治癒と延命との間でどのような物質機能を示すのかしら。

 それからは、画期的といわれる免疫チェック阻害薬をはじめとして、化学療法の世界で踏み迷っている。遺伝子標的薬は硬膜を越えることが難しいから、脳内で効力を発揮できないかもしれない。わたしの体と運命的な寿命と、妄想的な医学の熱情との長距離走。
――遺伝子が、生命が狂いだしている! それでも、私は戦わざるをえないのよ。目の前の新薬に心奪われるとしても。
 それは治療の古い歴史に沿うことでもなく、治癒という概念に囚われることでもない。そもそも、わたしが質的に異なる生物なのかしら。あるいは分類学的に別種なのか、それともたんに異物なのか、侵入者なのか。生物学のどの立場から評価されて、生命修復の対象になっているのだろうか。(棘の海)