無数のもの、ひとつのもの、限りのある……

列車も、このボックス席も、窓外に映るものも、囚われている事象だった。時空の魔がこの事象を運行している。二人のいるわずかばかりのスペースが光を帯び、そのことである苦悩が加速度的に膨れ上がっていく。いや、細分化されていく。それが、二人の共通した場所だった。私たちの出会いは偶然、このようにして始まったのだ。

「出会ってしまったのだから、始めなければならない。終わってしまうことはない」どちらからともなく導き出された結論はそのようなことだった。この、終末のない瞬間の地獄こそ、二人の世界なのだ。「とにかく、私たちは弾かれる。自分自身を原因にして互いに弾かれる。この場所からも弾かれる」そのような結論をも導き出していた。だが、その苦悩がどのようなことなのか判然としているわけではない。それは外圧であることと、自らのありように関することだという推測はできる。しかし、すべてを把握することは可能なのか。

「同じことだから」同じことだから、往くことも戻ることも違いはない。つまり、行き先も戻る先も同じ場所なのだ。反対の方向にあるのは常に自分自身だけで、自分と環界との差異だけなのだ。そのようなことが私の口から洩れていたのかもしれない。女はそのことを聞きつけたのか、理解したのか。それともまるでそのようなことと無関係なことが原因なのか、なにか明るい閃光が彼女の眸を掠めた。そして、夜の車内の光芒に埋められてしまいそうだった白い顔を紅潮させている。

自らの内圧で粉々にはじけ散る、硬い氷のようなあなたの命を。そのように、大事に大事にあなたを抱く。私に必要なのは、私の命に必要なのはあなたの命を愛すること。それだけが、あなたと生きる理由。あなたの命を見ることができるか、あなたの命だけを見ることができるか、そのほかのことはここには存在しないのだ、と。しかし、列車は決まった時間に定まったレールを走っているのだ。私の思いとは明白に異なった場所を。時空の魔は、嘲笑を浴びせながら、あらがうものたちを捉えて離さない。その力をさらに強めて。

自決しても、自らの思いを託すことができること。それを確信すること。何にもまして、強いこと。あるということは、自らを信じること。自らとは自らの物質的な起源である。おそらく想像を絶した現象なのだろう。これまでのうつろな蓄積が遠い彼方から呼びかけてきては消えて、それらは異時間と異空間のかさなりとして二人に訪れていた。私たちは単なるかさなりのイメージに過ぎない。