見夢録: 2008年08月04日 見夢録について

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以前の作物に「見夢録」という散文詩があるが、発句が「マミ夢メモ」で始まるもので、一部に激越なる詩集と目されていたらしい拙著『魔の満月』に所収せられている。この作品は実際に幾晩かの夢をメモしたものが材料となっている。当時は、散文詩を一行の詩と見立て、詩句を一センテンスとなし、これにアクシデントを凝結させるという試みに熱中していた。つまり、事件そのものを一箇の物質として見ていたわけである。
夢は事件と記憶とを断片化し紡ぎだし、あらたな事件を生みだすようであるが、ある種、眩惑的な光芒を湛えている。現実の事件もつまるところ人間の思考の物質化であるならば、この夢との境界はあるかなきかのかすかな光暈を帯びているに違いない。ここに、夢と事件はともにアクシデンタルな物質の眩惑となるのである。
この境界不可分の事件は物質の眩惑として、そもそも詩句そのものであるとして、詩的実験の試材となしたわけである。とするならば、この事件のつらなりは物質の構造として存在するわけで、この構造のパッチワークこそ、擬物語としての散文詩と詩人との激突する夢の現場という当時の設定である。
もっとも、このような仕事を贅を凝らした言葉遊びと見る向きもあったようだが、生死をいとわぬ実験は遊び心を伴うのが常で、そのようなつまらぬことどもとはおのずから一線を画している。当時から、意味と交換価値の絶対視からするコミュニケーションをむやみに金科玉条にする現実功利主義者とは雲泥どころか月とスッポンの違いはあったものと断じてはばからない。
さて、このような話はきりがないのでここで措くとして、じつに三十年余の後をへてこの「見夢録」を改めて題に起こして筆をとることにしたのは、私事ではあるが、近年の宇宙論的思考実験とそのプロセスともいえる絵画衝動とが自分にとっていかなることなのかを見定めたいという、じつに年齢的な要請とでもいいうるものである。
日録風に書きつらねてみるのに適当らしきこの題名をすでに三十余年前に用意しておいたとは、我ながらにして、準備のよさに舌を巻くしだい。ただ、今回の「見夢録」が長続きもせず、夢のまた夢がまたしても烟と化さねばよいのだがと願うものだが、さて。(初日記す)