意味と絶対的外部客観
あらゆる実在に意味を求めるということは、外部からの規定、つまり外部的客観からの定義を受けるということである。
包含-被包含の無限連鎖が構造として宇宙を貫いているとすると、この外部的客観は、外部のさらに外部に客観を措定せざるをえないという矛盾の無限連鎖に至るため、ついには絶対的な客観を措定せざるをえなくなる。つまり、神的絶対性の措定である。
しかし、この神的世界観は単に論理的破綻を呈したということに過ぎない。超越的な外部を、永遠の静的な外部を想定しているに他ならないからだ。
超越的で絶対的な外部は、ここでも、自らに外部を持ちえないという矛盾に晒されている。
つまり、実在の有限性に対して、絶対的な外部は無限であることによって非実在という範疇を作ってしまうからだ。ここでは、絶対的な客観は実在しないという矛盾をも呈することになる。
「意味」を付与するということは、このような神への帰依、信仰から生じているわけで、結局は実在を否定するということになる。
神霊的な世界観というものは、あらゆるものに意味づけするところから始まるようだ。
あらゆるものに意味がないと断ずれば、すべての呪縛から解き放たれる。
[作成時期] 2007/02/02