物質創造の大版画家・小口益一 (追悼)
物質のありかをぢかに触れるなり
小口益一は版画という方法を用いて、平面の転写にとどまらず、オブジェからオブジェ、つまり物質から物質への転写を用いて、物質の創造にかかわってきたようである。
いうまでもなく、転写はDNAの複製による増殖・生体創造のみならず、量子宇宙論においては対称性に深く関与するものである。粒子と反粒子との対称的な物質創造にも等しく、宇宙は転写による対称的な物質創造・増殖・複雑化によって137億年の歴史にいたったともいえるかもしれない。
小口益一はこれを創造のための技法として、物理的宇宙ばかりではなく、物質-反物質の分裂・増殖の構造を芸術的方法論として打ち立ててきたのである。
2005年11月、小口益一「鳥の舞」展(小野画廊・京橋)で、リノリウムに転写された(連鎖する原版ともいうべき)「黒いかたち」(縦112センチ)の作品2点に出遭ったときの衝撃を、私は忘れることができない。やみくもに体の芯からじわじわと湧き上がるものがあり、それがついに涙となって溢れ出たのである。
美術作品の前でのこのような経験は私にとって未曾有の出来事だった。それは、無数の点や線、宇宙情報とでもいえる記号で傷つけられた版面に、それこそ太い漆黒の帯が強い圧力で画面を捉え、それらのたしかな造形要素ばかりではなく、オブジェとしての作品全体が圧倒的な実質を現前させていたからである。
そこには、小口益一という版画家いや造形家の生身の力の強さ、おそらくそれらのことをも超えた実在の衝撃力そのものがあったからなのだろう。そして、その作品には、それ以外どこにもないということ、つまり絶対的な独自性と自由があったのである。
すでにこのシリーズは1968年にはスタートしていたようで、私への手紙のメモに、「昭和43年、彫刻作品集『黒いかたち』、石膏・ブロンズ・石膏レリーフ」とあり、それからすると、この版画はレリーフの転写、まさしく彫刻作品としての版画であるのかもしれない。