では、我々が直接対面するところのこの文化形態と中国現代化の過程との間に、なぜ多方面にわたる不適応が発生するのだろうか。その根本的な原因は、我々が理論的指針として頼るマル・レー主義―毛沢東思想が、主題に於いて我が国社会主義事業の発展に立ち遅れたのみならず、時代の発展にも立ち遅れたからである。私は最近発表した文章(「主題の転換を実現し、マルクス主義を発展させよう/実現主題転変,発展馬克思主義」『人民日報』1989.1.9)の中で、マルクスとエンゲルスが創設した古典的マルクス主義は、その主題が階級闘争とプロレタリヤ革命であり、レーニンから毛沢東に至るまでに、各社会主義国で形成されたところの伝統的マルクス主義(レーニン主義及びその後の毛沢東思想がその典型的代表)はこの主題を更に一歩進めた、と指摘した。とりわけ指摘すべきは、中国革命が勝利を収め並びにその地盤を固めた後、徐々にそして適時に伝統的マルクス主義が持っていた主題を希薄化させず転換もしなかったばかりでなく、かえって長期間固守し並びに一再ならずこの主題を強化し、その結果、本来なら早く日程に昇っている中国現代化建設が、遅々として踏み出せないでいることである。この期間、中国のあらゆる文化建設と文化生産は、基本的に、不断に階級闘争を拡大し(しばしば人為的であった!)深化させ、不断に革命独裁を強化するというという需要に従って組織(しばしば再組織)され、手配され、発動された。そして中国共産党及びその指導するところの広範な人民大衆が「文化大革命」の悪夢から覚め、現代化建設の道を歩み始めた時、我々がその身を置く世界は既に平和と発展を主題とする時代に入っていた。ここに於いて、伝統的マルクス主義が主題の上で社会の実践的発展に立ち遅れたという厳しい事実が、内からも外からもますますはっきりと暴露されてきた。それにしても、この時中国人が直接対面するところのものは、またどんな文化伝統なのだろうか。それは、あらゆる文化活動及びその生産物を階級闘争の手段或は道具とし、いわゆる革命階級の革命事業にとって利があるか害があるかを、あらゆる文化価値を測る最高さらには唯一の基準となし、そして階級闘争とそれに相応する革命独裁の需要に応じてあらゆる文化建設を組織し、あらゆる文化生産を行なう、文化伝統なのである!