考えてもみよう。この「階級闘争文化」或は「革命文化」とでも言うべき伝統が、またどうして、平和と発展を主題とする時代背景の下で展開される中国現代化過程と直接衝突を起こさないでいられようか。
我々は、現代化過程と「階級闘争文化」或は「革命文化」との衝突が主要なものであることを肯定するが、これは勿論、現代化過程と前近代伝統文化との間に衝突が存在しないと言っているのではない。ただ両者を比較した場合、前者の衝突の方が、より直接的でより切実だと言っているに過ぎないのである。実際、現実の生活の中では、前近代伝統文化もしばしばマル・レー主義―毛沢東思想の中に溶け込む形で、即ちマル・レー主義―毛沢東思想の衣をまとって、初めて機能を発揮するのである。これよりこう結論できる。
現在の文化論争は、前近代伝統文化への非難・批判・整理に重点を置くより、むしろ「階級闘争文化」或は「革命文化」への分析批判、特に古典的マルクス主義と伝統的マルクス主義の再認識に重点を置いた方がいい。こうして初めて、我々は五四新文化運動のように、問題の要をつかむことができるし、それによって現代化と文化的伝統との間の衝突を解決し、現在の中国文化を発展させるための手だてを得ることもできる。
より重要なのは、現代化過程と「階級闘争文化」或は「革命文化」の伝統との間に存在するこの直接的な衝突を考察することによって、我々は更に、現在に於ける中国文化建設の鍵と方向を認識し把握するための可能性をも得られる、ということである。現代化過程と直接衝突する「階級闘争文化」或は「革命文化」は、プロレタリヤ革命の主題強化を特徴とする伝統的マルクス主義の指導の下に建設されてきたものである。また、五四新文化運動及びそれ以後の歴史的経験が一再ならず示してきたように、全面的西洋化、即ち西洋資本主義の文化をそのままそっくり持ち込むことも、中国ではうまくいかないことなのである。このように問題がはっきりしているのであれば、ならば、この衝突を解決する鍵は、明らかに、マルクス主義を現代化させることができるかどうか、即ち古典的形式と伝統的形式を止揚し、進んで現代的マルクス主義を創造できるかどうかにある。これと相呼応して、現代的形式のマルクス主義を創造するという基礎の上で、中国に今ある「文化」を次第に改造し、それを現時代的特徴を持った文化形態に変えることが、目下我々が現代化に向かう過程で行なっている文化建設の準拠すべき総方向と成る。この意味に於いて、我々は「現代的マルクス主義」或は「マルクス主義の現代的形式」を、目下の文化論争と文化建設の発展方向への偉大な旗印として目指すことに、迷いはない