見夢録: 2016年05月05日-31日

2016年5月12日 03:00
【かけら】

wood_pen_004, 2008.9, ballpoint, Japanese cypress, 4.5 x 18.8cm

wood_pen_004, 2008.9, ballpoint, Japanese cypress, 4.5 x 18.8cm

2016年5月12日 11:36
【かけら】
仮に、私たちという概念が存在するとして、そのとき私たちはそれぞれの個的概念に分裂することは可能なのだろうか。あるいは、私たちが個別存在であるとすると、それは私たちという集合概念に収斂されるということなのか。
このことは、私という独自存在が質感として見ているものに、両方向の見方が含まれているのではないかということである。
つまり、質感の把握者は見られている側ではなく、見ている側にあるということだ。
そして質感とは、把握者の外側からの客観性はありえようもないから、把握者という単数存在の内部にある、相対性を許す単独存在そのものということになる。
また、その把握者はその個別性自体における内部の分裂性を認めざるを得なくなり、その分裂存在の新たな把握者の質感という問題が生じてくる。逆に己れの外部、上位についてはこれと切り離された存在として、つまり上位存在を否定もしくは世界から消失させることが可能である。
クオリアは世界把握のことであるが、それは内部宇宙と、それがさらに分割される内部宇宙が、不断に外側を切断しながら極小を求めてつづけていく宇宙把握のことなのかもしれない。

■2016年5月13日 12:34
【かけら】
acryl_2016_05_01, Akira Kamita, 2016.05., paper, acrylic, 28.0 x 41.0cm
acryl_2016_05_01, Akira Kamita, 2016.05., paper, acrylic, 28.0 x 41.0cm