連載【第076回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare IV: 〈sea crime〉

 nightmare IV

 〈sea crime〉
――わたしは助かることのできないところに来てしまった。いろいろな新薬を使ってみたけれど、どれも効果は出なかった。辛うじて通院しながら治療は続けているけれど、医師たちの表情は冷めていった。匙を投げるように、医師はわたしを次の病院に送り込んだ。わたしはベルトコンベアに載せられたお荷物。わたしの肺の癌細胞は着実に縦隔を侵していくのに、誰も何もできないのよ。次の治療法を探してみるから、それまで様子を見てみよう。わたしは見つかると信じて、不安を押し殺しじっと我慢を続ける。それなのに。
 咳が続くだけではなく、食道が狭窄し、何も喉を通らない。薬も飲めなくなって、痛み止めの麻薬が管から流し込まれる。気管支の周囲も痛みが激しくなる。わたしは明るい顔をして、まだまだ生きるつもりよと、あなたに微笑みかける。それでも、それでも。あなたは、流動食を薬だと思ってと知ったようなことをいうけれど、そうね、とわたしは優しく応じていた。苦しみはすでに体全体をふるわしていた。がくがく、がくがくと。

 地殻を揺るがす大地震は、何度かの前触れの後、巨大な規模で出現した。都市ではビルを揺るがし、近郊では森を薙ぎ倒し、山々はぐらぐらとゆらぎ、崖は崩落を始めた。遠くの山岳地帯の尾根尾根の山際には、帯のように鋭く赤い光が走った。それは地磁気の影響なのかもしれない。
 近海は、沖合いから順繰りに海面が盛り上がり、水平線全体に泡沫線が湧き、一斉に切れ切れとなった水面が、広い面積で区切られながら、海岸に向けて速く、強靭な打撃を見舞った。雪崩打つわだつみ、橋梁や巨大建造物は押し拉がれ、線路や道路も分断された。
 地方都市の病院、学校、各公共施設にも大きな被害をもたらし、住宅や商店街はもとより、生活圏では人的被害も多発し、コンビナートでは火災が発生し、終日、暗い火焔と油煙が途切れることはなかった。
 津波は時間を経てから一層強大になる。逆巻く海岸線の荒れ狂う波濤は大洋から次々と津波の蓄積されたエネルギーに圧縮され、押し流される。出口を河口に求め、河川を遡上しているのだ。至るところの河川は泡立ち、爆発的な力を目の前の障碍物にぶつけていく。漁船や観光船を引き裂いて、引きずり込んでいく。たとえそれが、親子であろうが、兄妹であろうが、老若男女、生きているさなかの人々を。
 人間がどれほどの罪で罰せられているのか。自然の力はそれほど無慈悲なものなのか。何も考えずに、ただ強欲な摂理であるというのか。まほろばという、か弱いすめらみことの帝国は誰をも守ることはできない。山を、川を、平野を、海を、何一つ守ることなどできないのだ。
 大地震はわだつみを襲い、海の罪を問う。海神はふるえて巨大な津波で地上を覆うのだ。バベルを呑み込み、地球は完全な水の球体となって、命の破片が詰まった方舟だけが浮かんでいる。荒涼たる水平線だけの球体。ものみな溺れ果てて。(nightmare IV〈海の罪〉)