自由とは何か[014]

「ジュゼッペ・アルチンボルドという画家は、植物や動物の絵を、増殖する部品として用い、それらを組み立ててグロテスクな肖像画を残したが、それはまるでおまえのいうようなものだ。つまり、美術品として扱われるかどうかは評価の問題なのだ。彼の用いる素材はそれぞれの存在の目的・理由とは無関係に、サイズの大きくなったマクロ的世界では風変わりな作品として実在する。しかし、素材それぞれの場所からはその大きさの世界の把握は不可能で、作品といわれるものの存在も無意味であり、実在してはいない。実在は経済だからだ。
 また、色は光だから、光の色に境界線はないという画家もいたが、皮膜の変種である棘はそれ自体境界なのかどうか。本当は境界はないのかもしれない。溶けている状態としてあるために。
 それにしても、たしかに自動的にボールペンを律動させていると、おまえのいうように、棘のある異物として生命の輪郭を犯している、光と色の秘密に近づき、見るという概念を撹拌しているという感覚が昂じてくる。作業をしながら、たったひとりで世界と拮抗しているという芸術的高まりを覚えるのも事実なのだ」

「なるほど。しかし、それはおまえの自己陶酔だ。おまえは物質としての世界と拮抗してなぞいない。物理的な対立構造を持ってはいないんだ。自分は具体的に肉体を攻撃し、テロリストとして自分を抑圧する体系と闘っているのだ」癌細胞はたしかに憤慨していた。芸術家のたわごと!

「ふん。では、おまえさんに同じことばを返そう。ばかだなあ、、、、、おまえは、、、、! 具体的な肉体、具体的なシステムなど、見方の問題にすぎない。芸術だろうが、哲学だろうが、ミクロの世界だろうが、あるいはどこにもないものへの思いだろうが、世界の始まりと終わりにおいては何も確かではないんだ。そうさ、わしのこの偏頗な芸術観こそ、具体性なのだ。」

 癌細胞の野望よ。DNAシステムからも見放され、世界のどこにもおまえの居場所はない。しかも、生命はミクロの世界では存在していない。宇宙的規模ではなおさらのことだ。それでもDNAシステムは細胞それぞれに遺伝子をばらまくという非効率的な生命系だ。それはサバイバルと増殖をかけた有機体のもっとも有効な生存戦略なのか。おまえの野望はいったいそのどこにあるのか?

全面加筆訂正(2011.12.23)