ある男の日記 (犬雲)

ところで、黒い犬について触れておこう。その犬はダックスフントの雑種だが、ある夜、突然舞い込んできた。酩酊して玄関にたどりついたとき、私の胸に黒い弾丸のように飛び込んできたのがその犬だった。たまらずに、私は玄関先で犬を抱きかかえたまま転げてしまった。犬は長い舌で脂ぎった私の顔を舐めつづけ、突き進む力が強いので追い払うこともできず、しばらくの格闘の後、家に入れてしまった。それから居ついて、ことあるごとにまっしぐらに突進してきて、私の胸に体当たりする。

名前をつけることになり、当然にもクロという犬名が与えられた。しかし、半年後、近所の女児たちから自分たちの犬だから返還せよという申し出があった。嫌がるクロを渡したのだが、それから一週間後、近くの川に浮かんでいたという話が伝わってきた。小動物の虐待が流行っていたような噂もある。

不吉に感じたのは、そのようなクロについての記憶なのかもしれない。だが、この話は過去のことなのか、未来のことなのかは、またも判然としない。また、不吉なのは犬のことなのか、女児たちのことなのかもよくわからない。

さらに暗い闇が忍び寄ってくる。しかし、闇が完全に街を蔽ってしまうことはなく、夜の通りを白い女の裸像がうごめく斑点のような残像としてつきまとう。街の概念が浮かび上がり、宙に漂う。街の生活は地面に張りつき、概念のない廃墟でうなりつづける。

そのようにして、街の本質は空中に浮かび上がる。それは、街が街であるということを示す一瞬のことだ。街でなくとも街であるという意思。(このときに、私は初めて「書き記す」ということを考えた。だが、それはあらかじめ「書かれた」ということに限定された空間構造であり、「記す」ことで、街の形象は実質を失わされ、暗黒とは別の、透けて見える闇とともに霧消していた。)

暗黒が映し出していたのは赤い色の屍だった。水に浮かんでいたものはたしかに赤く見える。とどこおった水面に反射しているのは塔の見晴し台だ。身を乗り出している私の影も認められる。