ある男の日記 (失われる記憶)

(失われる記憶)
短い待ち時間の間に、私は地方都市の商店街をあてどもなく歩いた。侘しいショーケースが目の端に光り、古びたロックやジャズがからだを擦り抜けていく。初めての街なのだが浮かれた気分にもなれない、ひどく疲れている。周りの景観には多少目をやるのだが、それらと自分との間に徘徊できる距離と時間はあるのだろうか。わずかの間、通りにとどまることも、視点を定めることもかなわない。たしかに旅をしているのだが、それは放浪なのだろうか。そして、それは私に付随する宿命的な「日常」に違いない。「いつも……、いつのまにか」

私をここまで運んできた列車は、ふたたび汚濁の中をのろのろ進み、過去に向けたまなざしから希望を引き出すどころか、繰り返しあてどのない絶望に向かわせる。私は記憶の底からそれらを不定形な夢の形で回想する。しかし、それは記憶を再現するものではない。ある小賢しい意図にしたがい事実を改竄して再構成する、記憶そのものに付随する愚弄行為なのだ。私だけの。

またしても、何番目かの駅のそばにある夜の街、私はその裏通りを歩く。どの店でもよかったのだが、干潟の入口にある一軒の店に入った。女が二、三人いたが、濃い化粧の女たちのいずれも生気がなく、そのかわりに何かに貪欲な感じがする。自分の口の中を覆い隠そうと、けばけばしい赤い唇を塗っている。もちろん、年齢も若いのかそれとも薹が立っているのか、店の薄暗い照明ではわからない。ここは料理を出すようなところではない。けれども、私にはそのどれについても嫌悪を覚える資格などない。そうだ、私は嫌悪を感じることなどできないのだ。

彼女たちの表情の奥になんらかの罪業が隠されていても、それが何だというのか。それらはほんとうに罪であるのか。それらは恥辱であるのか。そんなものはとうにどこかに埋もれたものだ。忘却されたものだ。それでも何かを隠そうとするいじらしさ。そして、周囲のすべてから離れていく。うつろで、ぼんやりした眸は見えるものが何もないことのあらわれ、失ってしまったもの。つまらなそうなあくびの、唇のあたりには嘲笑的な表情がみえる。肉体がすさんでいるのか。何かを憎んでいるのか。けれども、不思議と冷酷さはない。