(『光明日報』1989.5.15 [中青年哲学家掠影]「王鵬令」より要約。翻訳: 佐丸寛人)
現在の中国に於ける文化選択を論ず――五四運動70周年を記念して(前)
社会科学院哲学研究所 王鵬令/訳者・佐丸寛人
五四運動70周年を迎えるに際して、多くの人が「五四新文化運動は現在の文化論争にどのような示唆を与えてくれるだろう。中国が現代化に向かう過程で、我々はどんな文化を選択すべきなのだろう。またそれに対応する文化精神とはどんなものなのだろう」という問題を苦労しながら考えている。
筆者は、ここでこれに対する自分の見方を述べることとする。
五四新文化運動が高く掲げた「科学」「民主」の旗は、当時の極めて複雑な文化運動に、相対的に同一な方向を与えた。一方、現在の文化論争は今に至るまでその下に多数の人を結集させるような旗を掲げられないでいる。現在の?は前近代伝統文化への非難と批判に重点があるが、これが的を射ているかどうかは大いに疑問のあるところである。[注 ミニ書院で書かれたファイルをPDSコンバーターで変換したのだが、ルビ半角を読み飛ばしているため、外字等をルビで表したものに関しては脱落してしまう。プリントアウトしたものがないので失礼! 緑字斎]
周知の如く、「科学」と「民主」は五四新文化運動が高々と掲げた二本の旗である。この文化運動は、一面では西洋の新文化を輸入することを主張し、科学と民主を新文化の基本的内容とした。また一面では、科学と民主を批判の武器とし、矛先を数千年来続いた伝統文化に向けた。科学は封建的迷信と直接対峙し、民主は封建的専制と直接対峙した。このように、西洋新文化の提唱と封建的旧文化の批判とが、五四新文化運動の互いに切り離せない二つの側面と成った。正に陳独秀の言う「かのデ先生(民主を指す)を擁護せんとすれば、孔教、礼法、貞潔、旧倫理、旧政治に反対せざるを得ない。かのサイ先生(科学を指す)を擁護せんとすれば、旧芸術、旧宗教に反対せざるを得ない。デ先生を擁護し又サイ先生を擁護せんとすれば、国粋と旧文化に反対せざるを得ない」(『独秀文存』巻1、p.361)。