ある男の日記 (犬雲)

(犬雲)
その夕方――。塔の見晴し台にたたずみ、私は遠くの空を見渡していた。時間そのものが相対的だということを、その考え自体を凝視していた。しばらくすると、薄暗い空のきわに黒い犬の形をした雲があるのに気がついた。そのときは早めの夕食を済ませて、気分も落ち着いていたはずなのだが。もう遠くの空に夕焼けは見えない。いくぶん赤みを帯びていたが、いつのまにか濁った雲がかさなっている。

この日記はいつ、どこで書いているのだったか。見晴し台のことを追想できるときなのか、それともリアルタイムで犬雲と向かい合っているときなのか。あるいは、何十年も経ってからメモを文章に変換しているだけなのか。または、たんに創作ということで許される捏造なのか。少なくとも、幼年期に未来を幻視していたということではないだろう。しかし、そんなことは分かるものか!

――そんなことがあって以来、私は塔の見晴し台に登るのを避けていた。もちろん、不吉な犬雲との遭遇が契機になってのことだ。それでも、ほんとうの夜は次第に近づいていた。通りの街灯はまだ点っていないが、すでに薄暗く、靄が降りるにつれて、夜の気配が濃密になる。

ガスと塵の結合、重い空間。水分の形がその空間を侵食する。私はある理由から、沈黙の鐘といわれるそれを街中に響かせる必要があったので、ふるえる自分の手足を呪縛した。つまり、冷えきった手足を抑制して、いやいやながら釣鐘のロープをさぐらせたということだが。

その鐘は二つあり、こすれあうときの音色を考えると、より多くの数の鐘を音源にしているように聴こえる。だが、二元的な音色の構造であることに変わりなく、その結果、鐘音の響く空間は二つに破れていた。耳を澄ますと聴こえるこの空間の音色は、時間を殺戮する不安と人々の日常に鋭く切り込む荘厳を示している。そのとき私はアダムだ。私は自分の肋骨を打ち鳴らしているに違いないと考えていたからだ。警鐘は非日常的なものなのだ。